二十一


 

 




 自信たっぷりに進んでいくパブロを、友梨はエメリンと手を繋いで追いかけた。
 夕日が沈んだ後は、懐中電灯が役に立った。暗くなった世界が、一気に狭く感じられる。幾度か地鳴りもした。それでも友梨は不安に思わなかった。パブロが前にいることが、エメリンと手を繋いでいることが、友梨を不思議と穏やかな気持ちにさせていた。
 やがて、小さな明かりが近づき、波止場が見えた。大きな舟が一隻、闇の中に揺れている。もしかして海賊船だろうか。
 パブロはまっすぐに明かりの点いた小屋へと向かった。木の戸口の前で止まって、レディーファーストとばかりに道をゆずる。
 エメリンがノックし、返事を待って扉を開けた。
 狭い部屋だった。真ん中にテーブルが置かれ、その上にある暖かい色のランプが、部屋の中の唯一の明かりだ。
 壁には地図が貼られ、円い窓があり、まるで船室のような雰囲気だった。
 窓の前に立ち、外を眺めていた男が、鳴き声に振り向く。
「なんだ、パブロ。また遊びに来たのか」
 撫でられたパブロはちぎれんばかりにしっぽを振った。この一人と一匹はすでに顔見知りのようだ。パブロはいったいどうやってこんなところに通っていたのだろう。友梨は心の中で首をかしげる。
「エメリン。久しぶりだな。それと――あんたがユリか」
 彼はパブロの頭を最後にぽんと叩いて、立ちあがった。
「あたしを知ってるんですか?」
「パブロが教えてくれたよ」
「え、パブロ? ……船長は犬の言葉がわかるんですか?」
「あんたがパブロは喋れないと思いこんでいるから、聞こえないだけさ」
 友梨はしゃがんで、パブロの顔をのぞき込んだ。
「……おまえ、喋れるの? パブロ」
 パブロは元気よくしっぽを振って返事をした。ウォン。
 喋れるよ、と言いたいのかもしれないが、どう聞いても鳴き声だ。
 友梨がパブロとにらめっこしている間に、エメリンは船長に近づいていた。
「キャプテン、この世界を救う方法を教えて欲しいの」
「世界は救ったり救われたりするもんじゃない。ただ存在するだけだ」
 船長はやおら大股に歩いて、部屋に一つだけの椅子にどっかりと座った。
「なにか異変が起きた時、それを不都合に感じる人間が矯正したがって、救うとか偉そうな口を叩くだけだな」
「言葉遊びをしに来たんじゃないのよ。私はネバーランドのみんなを助けたいの」
「おれは助けて欲しいなんて思っちゃいないさ」
「キャプテン!」
 エメリンがテーブルに片手をついた。船長はエメリンとは対照的に、泰然としている。
「古いネバーランドは消滅した。新しく作られたこの場所も、あとわずかの命だ」
 エメリンの緊張が、友梨にも感じられた。悪い予感が的中してしまった。両目を見開き、口元を押さえるエメリンに、友梨はそっと近づいて腕を支えた。
「はじめから考えてみろよ。どこで狂った? ネバーランドは変化を拒む世界だ。それが変わっちまったのはなぜだ?」
「ピーターが……、扉を作ったから?」
 友梨の答えに、船長は首を振る。
「いや、それよりも前からだ。一番はじめに変わりはじめたのはなんなのか――あんたなら、覚えているはずだな」
 船長はエメリンを見て言った。
「私の、せいで?」
 エメリンが乾いた声で答える。
「ティンクが出て行ったから異変が起こるんだと思っていたけど……。ティンクの言う通りなの? その前から、私がネバーランドに来たから、こんなことになったの?」
「ネバーランドに人が住み着くこと自体は珍しくないさ。あんたが悪いってわけじゃない」
 その時だった。突如として現れた白い扉が勢いよく開き、厳しい表情のピーターが現れた。
「キャプテン! 邪魔するぞ」
 友梨は驚いてエメリンにしがみついた。そのエメリンを目にした途端に、ピーターが相好を崩す。
「エメリン!」
「おやおや、今日は客が多いな」
 うそぶく船長には見向きもせず、ピーターはエメリンの両肩をしっかりつかんで引き寄せた。友梨は慌てて離れ、二人を見守る。
「こんなところにいたのか! ティンクは目を覚まさないし、ああもう、僕がどれだけ探したと思っているんだ」
「なによ、好きにしていいって言ったじゃないの。どうして探すのよ」
 口ぶりは不満げだが、エメリンはどこか嬉しそうだった。
「し……、心配だったからに決まってるだろ! やっと見つけたかと思えば見失うし、君たちはいったいどういう進み方をしてたんだ、まったく!」
 船長は肩を揺らして笑った。
「よう、ピーター。しばらく見ないうちに、またずいぶん背が伸びたじゃないか」
 そこでやっと、ここに自分とエメリン以外の人間がいたことを思い出したように、ピーターはエメリンを離した。ややばつが悪そうに咳払いをしながら、船長に向き直る。
「キャプテン、この水晶を返す。だから何とかしてくれ」
 ピーターの手にはあの水晶があった。エメリンがピーターを見上げる。
「ピーター、ネバーランドは……」
「なんとか間に合った。子どもたちはみんな帰したよ」
 エメリンがほっと息をつく。
「おれにももうどうにもできんよ。このネバーランドは終わりだ」
「そんなはずはない。あんたならなんとかできるんだ。そうだろう?」
 船長はおかしそうに笑い続けるだけだった。
「自分でなんとかすると言ってそれを持って行ったんじゃなかったか? おれは無駄だと忠告しただろうが」
「ちゃんと持ち直した! そうさ、うまく行ってたんだ」
 どうしてこんなに必死になるのだろう。ぼんやりと思いながら、友梨は二人のやりとりを聞いていた。ピーターはこの世界がなくなるとどうなるのだろうか。どこへ行くのだろうか。そして、ティンカーベルは。
「だが長続きはしなかった。彼女がもう終わりを望んでいる。それが全てだ」
 キャプテン、と呼びかけて、エメリンが進み出る。
「私からもお願いするわ。もしその力があるのなら……ティンクも、この世界も救えるのなら、私は新しいティンカーベルになってもいい」
 きっぱりと言い切ったその口調に迷いはなかった。友梨は驚いてエメリンを見た。
「な……、なにを言い出すんだ、エメリン」
 ピーターはエメリンの言葉を全く予想していなかったらしく、彼女に微笑みかけられてもぽかんとしていた。
「私はずっとあなたといるって、約束したものね。ユリのような強い力はないかもしれないけれど、私だってこの歳でネバーランドに入れたんだもの、資格はあるでしょう」
 じわじわと、ピーターの表情が歪んでいく。唇が震え、頬はひきつり、困惑から怒りへと転化する。
「だめだ。だめだ、だめだ! そんなことは絶対に許せない」
「なぜ? しばらく休ませてあげれば、ティンクも元気になるかもしれない。どうして、私じゃダメなの?」
「ああ、だめだろうな」
 船長が重々しく口を挟んだ。失望したように目を向けるエメリンに肩をすくめてみせ、ピーターにからかいの目を向ける。
「やっと手に入れた、ずっと傍にいてくれるウェンディだ。おまえが手放せるはずがない」
「違う。エメリンは!」
「仮に新しいティンカーベルを迎えたとしても、それはもう別のネバーランドさ。ネバーランドは変化を恐れる場所だ。変わりはじめれば、姿を消すしかない。だからこそ、ネバーランドは幾度も生まれ、そして消えていく」





           



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