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 光の結界を押し返し、世界を混乱させる可能性があるのは魔王だけ。
 ロージャーの言っていたことの意味が、ミルファにもようやく飲み込めてきた。
「魔物たちの魔力は我らのそれとは異なり、うつろいゆくもの。魔物が魔物を狩るとき、食らうのは肉だけではない。彼らは魔力をも食らいつくす。そうして己がものとするのじゃ。強い魔族が食って食って、食らい続けて強大になったものが魔王。ゆえに、第二の魔王が生まれぬとも限らぬ。核となれる魔族がおるとするならば尚更じゃ。これで我の危惧していることが理解できたであろ」
「いいえ、リオはそんなに強い魔族じゃあ……」
「弱い魔族などおらぬわ、たわけ」
 阿呆だの愚かだのと言われ放題のミルファは、それでもぐっと我慢した。
「混沌から立ち直った世界の中、大きな魔の気配はことごとく消え去っていた。それは確かじゃ。そなたの見た魔族は、あるいは新しく生まれた魔族やもしれぬ。生まれた、というよりは、成った、と言った方が正確か。しかし、もし古い魔族であったなら――カラリエット凍結を使っているところからも、そちらの可能性が高いか。実に面倒じゃ」
 サシャナリアの説明は、途中から独白に変わっていた。
 リオは、少なくとも混沌期の前から生きている。
 ミルファはそれを知っていたが、教えてやるつもりはなかった。
 確かに、闇の王が復活するならば大問題だ。だが、ミルファの知っているリオは、その核になどなるはずがない。なりようがない。
 しかし、大丈夫だと確信できるのはミルファが彼のことを直接知っているからであり、サシャナリアにミルファの話だけで信頼しろなどと言うのは無理無謀というものだ。
 マイナスの材料は、できるだけ出さない方が良い。
「その魔族、髪の色や、目の色はどうじゃ」
「リオのですか? さあ……なにしろ暗かったですから。わたくし、自分の髪の色もわからなかったんですのよ。いつ変わってしまったのやら」
 あの不気味な目玉のことは当然、削除対象だ。重要かどうかはわからないが、怪しいことは間違いない。
「まったく役に立たんの」
「たいへん申し訳ありません。でもわからないものはわからないんですもの。あまり濃い色ではなかったと思いますけど。あ、髪のことですわ」
「そのリオという名前、偽名ではないのか。魔族らしくない」
「あら、わたくしがつけたんですわ。昔うちで飼っていた猫の名前なんです。リオも気に入ってくれました」
 ミルファはにっこりと笑んで言った。たいていの男ならこれで落とせるご自慢の笑顔であったが、相手が小さな女の子ではいかんともしがたかった。
「では本当の名前があるじゃろ」
「実はそれ、ちゃんと訊きましたわ。でも長くて覚えられなかったものですから、リオにしたんです」
 サシャナリアはここぞとばかり身を乗り出してくる。
「覚えられなかった、じゃと? たかが名前であろ」
「無理ですわ。たとえ覚えられたとしても舌をかみそうでした……あ、でも親玉の名前なら覚えてます。カエルのナルジフ」
「聞いたこともないわ、馬鹿者。そもそも魔族がカエルに仕えるはずがなかろう」
「だからリオは魔族じゃないと思うんです」
「それを判断するのはそなたではない。まったく、四字までしか覚えられぬのか」
「意味のわからない音だけの羅列を覚えるのってそう簡単ではありませんわ、サシャナリア・レイニード様。それにリオのあれは多分覚えたっていちいち呼ぶ気にはなれませんでした。実際、誰も呼んでいないと言ってましたし」
 サシャナリアはフルネームを覚えてもらっていたことにさしたる感銘も受けなかったようだ。ふむ、と考え込んで、思いついたというように身を乗り出した。
「舌をかみそうな長い名前というと――、烈火の悪魔シェウェリズィルか? まさかな」
 小さな賢者はわずかに表情をゆがめたが、ミルファの目には不快そうには映らなかった。意外と、それほど魔族を嫌っているわけでもないのか、とミルファは不思議に思う。
「しかしこの程度、すぐに覚えられるじゃろう」
「えっ。悪魔……、シェ……」
 当然のように注意して聞いていなかったミルファは、口をもごもごさせる他なかった。
「シェウェリズィル」
「シャベリ、ル……、たぶんリオはそういう名前ではなかったと思うんですけど」
 実際舌をかみそうになりながら復唱したが失敗した。
 サシャナリアは信じられないといった風に頭を押さえる。
「それに確か、リオのはもっと長かったです。あなたの名前より。覚えるなんて無理で」
 自分の頭の悪いせいではない、と言いたかったのだが、サシャナリアはあっさりと矛先を変えた。
「他はどうじゃ。翼はなかったか?」
 どうやらミルファに悪魔の名前を覚えさせるのは諦めたようだ。
「そんなもの、ついてたら人間と違うじゃないですか」
「翼ある魔族もおる、知らぬのか」
「ええ、まったく」
 ミルファはしれっと嘘をついた。
「つまり、そやつには翼はなかったのじゃな」
「もちろんですわ」
「……ではシェウェリズィルではない、か。いや、翼は隠せるのじゃったか」
 サシャナリアはぶつぶつと呟く。
「そのシェなんたらいう魔族は強いんですか?」
「無論。六将どころの騒ぎではないぞ。魔公じゃからのう」
「まこう?」
「魔王の子のことじゃ」
「魔王って子どもがいたんですか?」
 話をそらす目的もあって適当に質問を重ねていたミルファだったが、この時ばかりは本心からの疑問をぶつけていた。
「そんなことも知らぬとは……。まあ、魔族における親子というものは、我々の認識するそれとは少し違うがの」
 魔族にも家族があるのか。いや、すっかり忘れていたがそういえば、リオも兄弟がいると言っていた。食べられそうになったとかとんでもないことを。あの時はなにかの比喩というか、かじられた程度かと思っていたが、実はありのままだったのかもしれない。
「一緒に暮らしたりしない、ってことですか?」
「閲覧できる限りの記録では、魔王には四男一女があったとされておる。息子だの娘だのといっても、彼らに家族という括りはない。あるのは血の繋がりではなく魔力の繋がりでの。あふれ出る魔力を練って新しき魔族を生み出す――彼らにはそんなこともできたのじゃ」
「じゃあ、魔族は恋をしないんですか?」
 うっかり口にしてしまってから、しまったと思った。変なことを訊いた。だがサシャナリアは特に気にとめなかったようだ。
「東のガーザランは先代南北のゼクトとロザリナムの子だということじゃから、稀にはそういうこともあるのではないか?」
「……誰ですか?」
「じゃから魔将軍の……、前日少し話したではないか。覚えが悪いのう」
「覚える気がなかったものですから」
 ミルファは包み隠さずに答えた。サシャナリアは小さく首を振った。あるいは横髪が気に障っただけかもしれないが。
「シェウェリズィルとその姉ヌシャリアーリャの二人も、魔王と王妃フェリウェによって成された子であるという説があったと思うが、こちらは仲睦まじかったという話を見ぬな」
「はぁ……」
 政略結婚というやつなのか、そもそも闇の国に政略とかあったのだろうか。ともかく魔王に妃がいたということすら知らなかったミルファにはどうでもいいことだった。
「しかし、あれじゃな。島の外では驚くほど魔族について知られておらぬのじゃな。もう少し説話やなんやらで広まっておるものかと思うたが……脅威がなくなると、皆関心をなくしてしまうのかの」
「さあ、わたくしが興味がなかっただけかもしれませんけれど」
「いや、ここで使用人やらをつかまえて確認してみたが、魔王の名すら知られておらなんだ。……ま、既に役に立たぬ知識ではある。どうせそなたも知るまい」
「言われてみれば確かに、気にしたこともありません」
 サシャナリアはふうと息をつき、放ったらかしてあった毛布をもそもそと膝にかけなおした。
「やはり冷えるの。そなた、不自由しておらぬか?」
 意外な配慮の言葉に、ミルファはそっけなく応じた。
「別に。……魔法で暖かくしたらどうです?」
「もちろんできるが、せっかく毛布があるのじゃから、我はこれでよい」
「玉座の間では、ずいぶん派手に使っていたじゃありませんか」
「あれはデモンストレーションのようなものじゃ。普段はやらぬ。我の魔力は、いずれ世界を守るためにあるのじゃから」
 サシャナリアは傍らに置いてあったステッキを取りあげ、いつものようにトントンと手のひらを叩いた。
「感情がないようなお芝居をしていたのも、そのせいなんですの?」
「侮られて困るのは確かじゃからな。親しみなど感じさせぬほうが後々のためになる」
 淡々とした口調で、少女は続けた。
「そなたの相手は気を遣わずに済むで、楽だの」
「今も気を遣われているのがわからないんですか?」
「ふふ、そういう物言いが心地よいのじゃ。よいか、外に出てから我のかような態度を吹聴するでないぞ。かわり、そなたの無礼を許していると思え」
「……あんたって友達がいなさそうね」
「まあ、周りは大人ばかりじゃからな。どうせやることは山積みで遊ぶ間もなし、不要なのよ」
 サシャナリアはそう言って小さくわらった。




           



2011.11.11 inserted by FC2 system