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 ミルファは腹をくくっていた。
 こうなったら喋ろう。ただし、全部ではない。氷の塔にいた最後の日、あの「空の針穴」を見上げてからのことは秘密にする。竜を従えているだとか、なにかと物騒なことは黙っていればわからないだろう。実際、一日ずれていれば知らなかったことばかりだ。リオが魔族であるということすらあの時に認識したのだ――今となってみればどうして気づかなかったのだろうと思うが、それまでは本気で、リオのことを下っ端だと思いこんでいた。
 あそこまでの知識で、ありのままに話そう。
 嘘をつくとばれそうな気がする。だから、最後だけカットする。
 これはいい考えのように思った。まるで自分がばかみたいだが、実際ばかなのだから仕方ない。
「――言われてみれば、あの食事係は魔族だったのかもしれません。でも、カエルの手下だって自分で言っていたんですよ? いくら二本足で歩いていたって、まさか魔族だなんて……うーん、今でも信じられませんわ。どう思います?」
 翌日になって姿を見せたサシャナリアに、ミルファは渋々といった調子で話し出し、できる限り迂遠にわかりにくく説明をした。そう、まるでリオの話のように。
「魔族ほどの力を持たぬと、人の形を成すことはできぬ。人のように見えたのなら、それは魔族じゃ」
 過日と同じように、サシャナリアはミルファと向かい合っていた。当然のごとく長椅子を占領し、ミルファが寝るときに使っている毛布を膝掛けのかわりにして。発光室は地下なので、日によっては少し冷えるのだ。
「そこがわからないんですけど、魔族と魔物の違いってなんなんですか?」
「両方魔物じゃ、阿呆」
「だから、どう違ったら魔族っていえるんです? マジックカードってあるじゃないですか、あの魔王の絵なんて、とても人間とは思えませんわ。まるでけだもののようですもの」
 サシャナリアは面倒くさそうにステッキをいじくっている。ミルファを見る目はあきれているというより、見下している感じだ。
 ミルファはもちろん、そんなことには気づいていないそぶりで、伸びすぎた爪を摺り合わせていた。
「実際の魔王の姿など、今では誰も知らぬからな。あの絵は口伝を元にした想像の産物じゃ」
「大賢者様でも知らないんですか」
「お祖母様は当時生まれておらぬ」
「じゃあ魔族がみんな人間の姿をしているなんて、どうしてわかるんですの?」
 サシャナリアは小さく首を振った。
「我とて書物で読んだことしかないわ。じゃが今からそこを疑ってどうする。問題なのはそんなことではない。その魔族の話じゃ。もっと特徴を思い出さぬか」
「だから話がへたくそで、料理もへたくそで、服はぼろぼろで、髪はぼさぼさ。体はひょろひょろで今にも倒れそうでしたわ」
「……褒めるところはないのか」
「まあ、こちらの要求はよくきいてくれました。なんといってもわたくし、恩人ということでしたから。とっても不便でしたけど、いろいろとお世話になったので、夜でのことは絶対喋りませんねってお約束して帰ってきましたのに……」
 ミルファは大仰にため息をついてみせた。
「でもこうやって閉じ込められているだけというのも退屈ですし、大賢者様の仰せ付けとあれば仕方ありませんわね」
「ふむ。つまり、逆であったか」
「は? なにがですか」
「そなたは恩義を感じておったのじゃな、魔族を相手に……。脅されておるとばかり思うておったが」
「リオは、ばかでしたけど怖くはありませんでしたわ」
「道化を演じておったかもしれぬぞ」
「ありえません。あれはほんとにばかでした」
 サシャナリアはかけらも信じていないような顔で肩をすくめた。
「魔族はあなどれぬぞ。いかに外見が人のようであるとはいえ、あれは人の常識でははかれぬ」
 確かにリオは常識的ではなかった。
 けれど、笑ったり悲しんだりする心をもっていた。価値観こそ違ったが、ミルファの見ている世界を受け入れようとさえしてくれた。
「きゃつらは我らとは考え方が違うでな、愚かにみえることもあろう。本能に忠実で、獰猛で、残忍な生き物じゃ」
 水でのお茶会に付き合ってくれた。
 あたたかい食事はおいしいと笑ってくれた。
 あの小さな光の屑たちを、好きになりたいと言ってくれた。
「わたくしは……、そんなに違うとは思いませんでした。おなかが減ったら困る、仲間のことは大切にする、おいしければ嬉しい。そういう、単純な……」
「仲間?」
 サシャナリアはすかさず切り込んできた。
「だから、トカゲとかコウモリとかモグラのことです」
 ミルファは強い視線に怯まぬように、なんでもないことのように、目を見返しながら答えてやった。
「ふむ。長くいれば情も移る、か。そなた、意外と絆されやすいのじゃな」
 小さな賢者は膝にあった毛布を持って立ち上がった。
「よいか。今、魔物と我らの住む場所は結界によって隔てられておる。かつて光と闇の国が接していなかったあの頃のように」
 両手をあげ、折った毛布をばさりと広げて、幕のように垂らす。こちらが昼、あちらが夜、と。ちらりと横から顔をのぞかせ、続ける。
「別々に生きていれば、こちらとあちらは互いに干渉することもなく、平和にやってゆけるのじゃ。――これは他言無用じゃぞ? お祖母様の支えている結界は、実は魔物たちをも守っているのじゃ」
 サシャナリアは毛布を抱きしめ、二人の間にあった障壁を取り除いた。
「闇と光が入り交じり、世界が混沌に陥った時、困ったのは人だけではない。魔物たちもまた、闇を失って右往左往しておったのよ。大賢者ルピアンの作った太陽は、昼を作り、夜を生み出した」
 もう一度、毛布の幕がおろされる。
「世界は元の秩序を取り戻した。魔物たちにとってもこれは救いであった、わかるな」
 ミルファは何も言わなかった。下手に口をはさめば、隙を見せることになる。
 本当は、知りたい事がたくさんあった。混沌の中、どのようにして魔物たちは生きのびたのか。大賢者の結界が魔物を守っているというが、それは単に結果としてそうなったにすぎないのではないか。別々に生きるといっても、夜の波が昼に来ている以上、完全に隔てられているとは言えないはずだ。結界は永遠に守ることができるものなのか。いつかはまた混ざってしまうのではないか。
「この適切な距離を、昼と夜は保っていかねばならない。魔王の再来を防ぐためにも、じゃ」
 魔王。
 ミルファはカードの絵を思い浮かべていた。
 人によって描かれた悪の化身、だが実際はどうだったのだろう。どういう王様だったのだろう。夜にいる間にちゃんと聞いておけばよかった。
「要するに、あまりおおっぴらにはできぬが、大賢者府は魔族や魔物を根絶やしにしようなどとは思っておらぬということじゃ。夜には行けぬし、夜から魔物が攻めてくることもない。そう皆が信じているからこそ、今の平和がある。この大前提を崩すわけにはいかぬのだ」
 ミルファがずっと黙っていることに焦れたのか、サシャナリアは繰り返し確認してきた。
「我の言いたい事がわかるか?」
「結界さえあれば昼界だけでなく夜界も安泰ということでしょ」
「然り!」
 少女はよくできましたとばかりうなずき、毛布をぽいと長椅子に落とした。
「そこで此度の魔族のことが問題になってくる。繰り返すが、ここで話すことは、秘密じゃ。決して漏らしてはならぬぞ」
 サシャナリアは指先を自分の唇に当て、ウインクをしてみせた。
「そなた、強大な魔力をぎゅっと集めるとどうなるか知っておるか?」
「……いえ、魔術は第十級までしか」
 もちろん、十級は一番ランクの低い級だ。子どもは最低限十級を学ばなければいけない、というのが絶対綱紀の中に定められている。
「ふむ、三級くらいまで進めば、理論上は基礎教則本に触れてあるのじゃが」
 ちなみに三級は宮廷魔術師の試験を受けられるくらいのレベルだ。採用されるかどうかはともかくとして。
「極限まで活性化させた魔力を一点に収束させ続ければ、魔力は加速度的に膨張する。質、量ともに増大し、すさまじい力を発するのじゃ」
「へー」
 と、上辺だけは感心しつつも、ミルファはその内容に関心がなく、また理解もしていなかった。
「と言っても、それほどの魔力は常人には練れぬ。量的にも、技術的にもな。つまりこれが太陽なのじゃ」
「え?」
 ミルファは初めて興味をひかれて、サシャナリアを見た。
「太陽は大きな力を一点に収束させることで、光の魔力を生み出し続けておる。昼界全体を覆い続ける莫大な魔力はこうして作られ、結界を支えているというわけじゃの。――そして」
 意味ありげに言葉を切り、少女はすとんと腰をおろした。真っ白な長いスカートの裾がふわりと広がった。
「魔王はまさに、生きた闇の太陽。絶大なる魔力を体内に蓄え、無限に生み出す恐るべき魔族なのじゃ」




           



2011.10.29 inserted by FC2 system