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 ミルファは、生まれ持った自分の顔を、どちらかといえば気に入っていた。いやむしろ、かなり。
 若かりし日の祖父に似ているという整った顔立ち、祖母譲りの金髪、兄とおそろいの緑の目。
 幼い頃から褒めそやされて、そのたびにくすぐったく、とても嬉しかった。
「なんて可愛らしい」がいつしか「なんと美しい」に変わっても、その気持ちは同じだった。
 ドレスが似合わないと感じたらすぐに取り替えさせたし、うっかり肌が荒れたりしようものなら、絶対に外には出ない、人には会わないと宣言してケアに励んだりもした。美しい自分を誇りに思っていたし、それが当たり前と感じていた。女たちから陰口を言われても、ひがみだと馬鹿にするだけだった。
 美しくなければよかったなどと思ったことは、一度もなく。
 むしろ、美しくなくなることは怖かった。
 それがいつしか重荷になっていることにも気がつかなかった。
 取り上げられてはじめて、肩が軽くなっていることを知ったのだ。
「それはなによりだわ。……以前なら、自分の顔が邪魔だなんて考えなかったけど」
 笑いを収めて、ミルファは言った。
「あそこでは――夜では、あたしの顔に価値がなかった。あたしの身分も容姿も関係のないところで、あたしを甘やかしも嫌いもしないリオがいて、あたしは……きっと、とても楽だったの」
「さきほども、その名を口にしていましたね」
 ロージャーは静かにこたえた。
「賢者の子に教えてもいいわよ。あたしは確かに魔族のような男と会った。でもあなたの知りたいようなことはなにも知らないって」
「いえ、それはやはりあなたから話した方が。それで、その魔族はどんな」
 ミルファは慎重に言葉を選んだ。
「あたし大したことは知らないと思うのよ、本当に。サシャナリアは一体何を知りたがっているの? 魔物がたくさんいても、魔族が生きていたとしても、太陽の結界がある限り昼界は安全じゃない。みんな光には弱いんだし」
「確かに、魔物は闇で育ちます。私はこの数年、彼らの生態についてずっと調べていました……力が強ければ強いほど、光の中では身動きが取れなくなる。それが魔物というものです。私の捕らえたトカゲは、動いていました。たいした力は持っていない、小さな魔物です。それもすぐに弱っていきました。普通のトカゲとは違う。昼の中では死んでしまうのです。光が彼らにとってどう作用しているのか、毒のようなものなのか、それを知りたかったのですが」
「たぶんそのトカゲなら、元気になったわ。夜に戻ってきたら、だんだんよくなったって」
「ふむ……。ということは光が彼らの体を蝕むというよりはむしろ、あいや、すみません。それは今はいいんです。あー、戻れ戻れ……」
 言いながら、ロージャーは自分の指を額に向け、くるくると頭上でまわした。あたかもそうすることで頭の中の時間が巻き戻るかのように。
「そう、彼らは光に弱い。魔族の一匹や二匹、生きていたとしても昼界に影響はない。あなたの仰るとおりです。大賢者が危惧しているのはおそらく、魔王の復活、それのみでしょう」
「魔王、復活……」
 ミルファはカードの柄を思い浮かべていた。おどろおどろしいあの絵。
 死んだはずの魔王が生き返る、そんなことがあるんだろうか。
 いや、そもそも魔王は本当に死んだのか。全滅したと言われる魔族だって、まだ存在したではないか。
「つまり、魔族が生きていたら魔王を生き返らせようとするってこと? だから危ないの?」
「いや、というよりは」
 ロージャーは言葉を句切り、なにか考えたようだった。
「魔王はそもそも、多くの魔族や魔獣が寄り集まって生まれたものであるという説があるんです。力の強い魔族が次々と周囲の力を奪い、成長していった。その結果、魔はふくれあがり、闇の国を支配するほどの力を持つ王になったと」
 王になった。ミルファはその表現をなにか新しいものと受け止めていた。
 魔王ははじめから魔王だったような気がしていたが、当然そんなわけがないのだ。
「じゃあ、あの子が知りたいのは、魔王のもとになるような、力の強い魔族がたくさんいるかどうか、っていうことなのね」
 それなら安心だ。ちゃんと聞いた。リオは他の魔族は知らない、いるかどうかわからないと言っていた。
 ヤズーのような強い魔物もいたが、リオのしていたことは逆だ。力を蓄えるのではなく、力を周囲に分け与えていた。彼はそれを喜びとしていた。
 そんなリオが魔王になろうとするはずがない。
「まあ、推測ですがおそらくそのようなものかと。彼女が取り寄せていた資料はどれも、魔族や魔王に関するものでしたから。魔王には世界のバランスを崩すほどの力があります。甦れば夜を広げ、昼の領土を少しずつ浸食していく――つまり、結界を押し戻されるかもしれない」
 魔族は存在してよくても、魔王が生まれてはならない。そういうことなのだろう。
「あたしが会った魔族はひとりきりだし、そんなに強そうにも見えなかった。他にはいないって言っていたし、大丈夫よ」
「そのままを使者殿に伝えればよいでしょう。真実であるとわかればきっと、あなたは自由になれる」
「そんなにうまくいくかしら」
 ミルファは眉をひそめた。だいたいあの子どもは好きになれない。
「あなたへの不当な扱いについては、宰相殿をはじめとして、多くの苦情がいっていますから。なにかしら状況は改善されると思いますよ」
「……相手は次代の大賢者候補なのに?」
「宰相殿は位が上の人物に対しても舌鋒を鈍らせる方ではありませんし」
「それにしたって……、まあ、そうね。あまり期待はせずに待ってるわ」
 ミルファは肩をすくめた。
「はい。では、私はこれで」
 一度さがろうとしたロージャーだったが、ふと思いついたように格子に手をかけた。
「あと少し時間がありそうなので、最後にひとつだけ」
 立ち上がりかけたミルファも、もう一度膝をつく。
「私も意地が悪いのです」
 彼はなにを言おうとしているのだろうか。ミルファは首をかしげた。
「私は、自分のためにさきほどの質問をしました。本当はもっと別のことでもよかったのに」
「しつもん……? ああ、パーティの」
「あなたが覚えていないだろうとは思っていたのですが、こうして持ち出せば、あなたが少しでも思い出してくれるのではと期待していたんです。困らせてしまって、すみません」
「そんな……、あの、あたし」
 喜ばせるための台詞なら、いくらでも浮かんだ。
 困ったりなんかしていない。あなたが覚えていてくれて嬉しかった。またゆっくりお話がしたいわ。これからのあなたのことは忘れません。いつか一緒にレイファスの花を愛でに出かけましょう――
 けれどそれはもう言えなかった。嘘だから。そして、ロージャーにはそれがわかるだろうから。
「あたし、お礼を言わなきゃいけないわ」
 だから本当のことだけを、乾いた唇にのせた。
「あたしの名前を呼んでくれてありがとう。おかげでとてもいい夢が見られたの」
「そうですか。それは、よかった」
 言い残して、ロージャーは暗がりの中に消えていった。光へと続くその細い道を。
 ぽつりと置かれた小さなカップを、ミルファは拾い上げ、手のひらにのせた。




           



2011.10.22 inserted by FC2 system