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 数え切れないほどの男の人と踊った。
 会話など、いちいち覚えていない。少し興味をひかれた時だけ、次に会う約束をする。
 でも何度か会ううちにやっぱりつまらなくなって、別の人を探す。その繰り返しだ。
 振ってしまった後はすぐ忘れてしまう。覚えているのは嫌で目についたことばかり。
 付き合うことすらしなかった相手のことなんて、もっとどうでもよかった。記憶の片隅にも残っていない。
「ごめんなさい……。その、詳しく覚えていませんの」
 膝をついたまま、ミルファは青ざめながら言った。ロージャーの方に目を向けることはできなかった。
 思えば、夜界に落ちる前、最後に会ったのがロージャーだった。サラと喧嘩をして、その原因である彼に八つ当たりをした。
 ロージャーに会うのはあれ以来なのだ。最悪の印象を残してしまっている。
「もう、いいですよ。あなたは偽物なんかじゃない」
「え」
 意外な答えに、ミルファは目を見開いた。ロージャーは笑っていた。表情まではわからなかったが、しぐさで伝わった。
「私のことなど、覚えていなくて当然ですよ。いいんです」
「わたくし、なにを申し上げまして?」
「……できれば、もっと気軽に話してください」
 ミルファは一瞬、それが出会いの日の自分の台詞だったのかと勘違いした。
「あ、えっと、はい。じゃあ、そうします」
「ええ。そうしてください」
 ロージャーは両手で持っていたカップをそっと床におろすと、隙間から押し出して寄越した。
「床に落ちた一輪のレイファスを渡そうとした私に、あなたは言ったんです。今日の記念にさしあげます、と」
「そう……だったかしら」
「はい。覚えています、とてもよく。あなたのことは、どんな些細な言葉でも」
 改めて明かされても、どうしても、ミルファにはその日の出会いを想起できなかった。
 とても良い香りだったレイファスのことは、頭にあるのに。着付けた時のメイドとの会話までなんとなく浮かんでくるのに。
「そうなの……。ああ、だめだわ。やっぱり思い出せそうになくて……。それなのに、あなたはあたしのことを疑わないの?」
「勿論です。もうわかりました。あなたは間違いなくミルファ殿です」
 ミルファは目が潤みそうになって、ロージャーから見えないように顔をそらした。
 自分の存在を肯定してもらえることが、こんなに嬉しいなんて。
「あなた、優しいのね。あたし、あんなにきついことを言ったのに。許してくれる?」
「ああ……、あの時の。はじめから怒っていませんよ」
「ありがとう。あなたって、とてもいい人ね」
 サラはやっぱり見る目がある。ミルファは思った。
 ロージャーは、広い心を持っている。あたしよりずっと。
 ミルファは自分にうんざりして、ため息をついた。
「あたしはだめだわ。人の気持ちを汲むってことができないらしいの。好意を持って近づいてきてくれる人に、どういうお返しをしてあげれば喜ぶのかはわかるわ。でも嫌われてしまうと、どうしていいかわからないの。同じようにしても、嫌みだって言われるわ」
 昔からそうだった。自分のことばかり考えて、優しくできなくて。
「でも、あたしが悪いのね。嫌われてしまうとあたし、すぐに気分が悪くなるの。どうして好きになってくれないのかしら、こんな人と一緒にいたくないわって思ってしまって。だから、そういう人を遠ざけて、よくしてくれる人とだけ、付き合っていたの」
 そうやって、寄ってくる男の機嫌をとることばかり覚えた。
 どんな風にお礼を言えば大人がまた飴をくれるのかを懸命に考えていた、子どもの頃のように。
 目を向けてもらえる事が当たり前で、目を向けてくれない人なんか興味がなくて。
「みんながあたしを嫌いになってしまったら、どうすればいいの? 魔物の手先だと思われているんでしょう。自由になれても、どこにも行けないわ」
「……あなたは、夜のことを見てきたのでしょう」
 ロージャーはしばしの沈黙の後で言った。
「賢者の子に聞いたの?」
 そうだ。ロージャーは大賢者府に召し上げられたのだ。
「おおよそは。カラリエット凍結については初耳でした。あのような秘術が存在したとは……。ですが、私はあなたの味方です」
 本当だろうか。サシャナリアに言われてここに来たという可能性もなくはない。
「あたし、みんなを騙していたのよ」
「黙っているほうがよいと思ったのでしょう」
「買いかぶってるわ」
「そんなことはありません。話せない理由があるのでしょう。私がここに来たのは、あなたが心配だったからです。少しでも力になれればと……。使者殿のお考えも、いくらか聞いています」
 彼が好意をもってくれているとしても、それで大賢者府を裏切るようなことができるだろうか。ミルファは少し考えた。けれど、疑うことはやめようと思った。
 信じられるかもしれないと思ったのではなく、信じたいと思ったのだ。
「……気持ちはありがたいし、あたしはこうして誰かと話せるだけで嬉しいけど。でもそんな情報をあたしに流してしまっていいの?」
「はい。あなたは、積極的に誰かを傷つけようと考える人ではありませんから」
「そんなの、わからないでしょ。あたし、意地が悪いのよ」
 こんなことを前にも言った気がする。
 そうだ、リオに。
 ――ミルファだって良い子だと思うよ。
 その時のやりとりが胸にせまって、ミルファはぐっと唇をひきしめた。
「自分を好いている人を喜ばせようとすることがいけないとは、私には思えません。よく知りもしないのに嫌ってくるような人間がいれば、近づかないのも人付き合いの方法のひとつですよ。そんな風に自分を卑下することはありません」
 ミルファは黙っていた。
 この人は優しい。とても優しい。あたしを本気で好きでいてくれるのだ。
 でも、リオじゃない。

 リオが自分のことを人形だと言ったとき、あたしは同じように反論した。なんだか悲しかった。
 それは、あたしがリオを好きだったからだ。
 リオが好きで、だからあたしの好きなリオを悪く言ってほしくなかったのだ。それだけだ。

「本当はここから出してさしあげたいのですが、あなたには魔法は……。残念ですが」
「いいの。この術は、今もあたしを守ってくれている」
 リオがかけてくれたその魔法は、半年かそこらで消えてしまうという。
 一生かかってたっていいのに。どうせ、あたしは魔法なんて扱えないし。
 ミルファは自分の腕を強くつかんだ。
「時間があれば、その秘術について色々調べてみたいところなのですが、そんな猶予はありませんね。怪盗ルギスの使った百の魔法、というのを知っていますか? それを参考に色々試したんです。これは身体を小さくしてすり抜ける秘薬というもので、効果は半日程度と書いてありましたが……、昨日の実験ではそれほど保ちませんでした」
「じゃあ、急ぐのね。ここに来るまでどのくらいかかったの?」
「あと十五分くらいは話していられると思います、余裕をみて」
「……あたしが早く気づけばよかったのに。ごめんなさい、眠っていて」
「いえ、構いませんよ。実は、姫に城の設計図を密かに写していただいたのです。それでここまで」
「まあ、サラが?」
「ええ。とても案じておられます。自分も薬を飲む、と主張されましたが、姫に万一のことがあってはいけませんので」
「そう。あたしは元気でいるからって伝えておいて。手紙、とっても嬉しかった」
「あれは、もう出せないようですよ」
「ばれちゃったの?」
「いえ。ですが警戒されているようで……」
「ふうん、残念だわ。ねえ、前の日のグラタンもあの子が作ったんじゃない?」
「そうです。何故それが?」
「だって、マカロニがちょっと固かったもの。少し焦げてたし」
「あなたに作る料理を自分が担当したいと申し出て、中を調べられないかどうか試すために、一度目は何も入れなかったようです」
「なるほど……あの子も結構考えてるのね。ふふ、でもキッシュはちゃんと出来ていたわよ」
 そこまで会話を続けて、ふとミルファはその流れの自然なことに驚いた。
「あなたって、けっこう普通に喋る人だったのね」
「えっ? ああ、その。実のところ、あなたの顔がよく見えないのです。大きすぎて……それであの、あまり緊張しないのかもしれません」
 ミルファは笑った。それはそうだ。ミルファからロージャーの表情が読めないのと同じことだった。




           



2011.10.15 inserted by FC2 system