遠い場所から、リオが呼んでいた。
ミルファ、ミルファ。
その懐かしい声に、ミルファは駆け寄る。
リオ、よかった。会いたかった。
もう色々あって、本当に大変なの。困ってるのよ。
そうだ。ねえリオ、あんたは一体どういう魔族なの?
たくさん話をしたけど、そういえばあんたって自分のことはあんまり話さなかったわね。
いつも、あたしの話をにこにこ聞いて。歌を歌って。仲間の話をして。
もっと色々知りたかったな。今頃そう思うの。聞けたのって、ほんとに最後にちょっとだけだったから。不思議なことを言っていたわね。あたし、よくわからなかった。わかってあげられなかった。ごめんね。
もう少し、一緒にいたかったな。そうしたらたくさん励ましてあげられたのに。もっと自信をもっていいのよって、あれちゃんと伝わったのかしら。
夜の空のこと、綺麗って思ってくれている?
ねえリオ、なにか話してよ。
わがままなあたしの話だけ、一方的に聞いているのじゃだめ。
あんたの気持ちを教えてよ。聞かなきゃわからないの。あたしはそういうの、下手なんだから。
リオ、リオ。
どうしたの? なんで黙ってるの?
返事をしてよ、リオ――
「リオ!」
ミルファは自分の声で目を覚ました。
胸がどきどきいっていた。深くため息をついて、もう一度目を伏せる。
そうすることでまた、彼の姿が目の前に現れてはくれないかと。
けれど、そこにあるのはただの瞼の裏で。
ミルファは手のひらを握り、宙を睨んだ。
リオとはもう、会えない。
思い出の中のリオに話しかけることはできても、リオから話してくれることは二度とないのだ。
これから先、ミルファの中にたくさんのものが降り積もっても、それを渡すことはできない。
離れるというのは、そういうことなのだ。
話し下手なリオにうんざりしたり、文句を言ったりすることはもうできないのだ。
今ではこんなに、楽しかったと思うのに。くだらない話をしているだけで、あっという間に時間が過ぎて。
でも、もう、伝えられない。
「リオ……」
呟くと、返事が聞こえた気がした。
ミルファは長椅子に横たわったまま、膝を抱えた。まるくなって、小さくなって、消えてしまいたいような気分だった。
また空耳がした。
小さな、小さな声。少し離れた場所から繰り返し聞こえる。
空耳? いや。前にもこんなことが。
「ピピ!?」
ミルファは跳ね起きた。その勢いで毛布が床にずり落ちたのもかまわずに。
あたりを見回して、冷静になる。こんなところにピピがいるはずがない。光が苦手なのだから。
それでも、確かになにかが聞こえる。耳に神経を集中する。
「……ファ……、……の、ミルファ殿! ここです!」
呼び声のする方向にそろそろと歩き、ミルファは発見した。部屋の隅、壁の穴の向こうに身長20センチほどの人間がいるのを。
「げほげほっ。よ、よかった。やっと……げほっ」
その穴は床すれすれの場所に開いている通気孔だった。発光室は、その使用時にはたくさんの人を収容し、いくつもの月光灯を燃やす部屋だ。換気は必要不可欠なので、通気孔はあちこちに作られていた。
ミルファはほとんど這いつくばるようにして顔を近づけた。低いし暗いし小さいし、そうしなければ相手の姿がよく見えなかったのだ。
「体を小さくすると声まで小さくなってしまうとは迂闊でした。考えてみれば自明の理なのですが。しかしこのサイズでないと到底ここまで来られなかったのです。いや実に長い道のりでした。図面ではすぐのように見えたのですが、そう、原因はこの歩幅です……なんという遠征。いやはやそれでも一度も道を違えることなくたどり着けたのは僥倖と言え、げほごほっ」
聞き覚えのある口調。見知った顔。
「ロージャー……! っ、コホン、様」
適当に咳でごまかしつつ、ミルファはあたふたと立ち上がった。
「まあ、どうして……。ちょ、っと待っていてくださいな。なにか、飲むものを。そうだわ」
ミルファはサラのおもちゃ箱をあけ、ミニチュアのティーセットのカップに水差しの水を注いだ。が、小さすぎて大量にこぼした。運んでいる間にも少しの揺れで空っぽになってしまいそうだったので、ソーサーをかぶせて慎重に移動した。
「どうぞ」
「やや、これはこれは。なんとありがたい」
格子状の隙間から渡したが、人形用のティーカップは今のロージャーにはぴったりとはいかず、彼が持つと鍋くらいの大きさに見えた。ロージャーはそれを両手で傾けながら飲んだ。
ロージャーは実におかしな格好をしていた。普段からおかしいといえばおかしいのだが、それは少しセンスがずれているとか汚れを気にしていないだとか、そういうおかしさなのだ。今はちがう。布を適当に巻き付けて紐でととのえたような原始的な格好である。
おそらく、魔法で体を縮めたはいいものの、服までは小さくできなかったのだろう。
「あのう、ロージャー様」
「ひとつ確認したいことがあります」
「はい?」
ミルファは水で濡れた手をこすりあわせながら首をかしげた。
「私とあなたが、初めて会った日のことです」
ミルファはロージャーの表情を確認しようとしたが、小さすぎるのと光の量が足りないのとで、果たせなかった。
「パーティで私があなたにぶつかってしまった時、あなたはなんと言いましたか?」
これが大事な質問だということはすぐにわかった。
ロージャーはミルファが本物かどうか、試そうとしているのだ。
絶対に正しく当てなければいけない。ミルファはあわてて記憶をたぐった。
初めて会った時。サラの想い人と知って、家の舞踏会に招待した――違う、その前だ。サラの話を聞いたとき、確かあれだわと顔を思い浮かべられたはずだ。
「あ……あの、ええと……」
もしかして、単に城ですれ違っただけだったか? 会話をしたのはやはり家での舞踏会が初めてだっただろうか。いや、ぶつかったなんてことはない。あの時はロージャーにうまく接近しようとして、彼の動向をちゃんとチェックしていた。そんなへまをしたなら覚えている。
やっぱり、それ以前にどこかのパーティで会っているのだ。ロージャーが来るくらいのレベルの。あまりかしこまった場ではなさそうな。誰かにぶつかった、といえば。
「そう、ロナン様の屋敷の、でしょ。若い人ばかりが集まる会だったわ。あたしは……、わたくしは確か、レイファスの花のコサージュをつけたドレスを着て……髪にもお揃いの飾りをさしてた。それで、あなたは……、ええと……」
ぶつかったなら無難なことを言ったはずだ。お気になさらないでとか、お怪我はありませんかとか。
ミルファには想像する事しかできなかった。まったく思い出せなかった。
頭の中が真っ白になりそうだった。
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