「そなたは生かされたのじゃ。強力な魔族によって。カラリエット凍結はな、結局のところ、エネルギーの出入りを制限する術なのじゃ。強力な結界を全身に張り巡らし、体内の魔力を失わぬように、また与えられぬようにする。魔術の行使が不能になるのも、魔術の干渉を受けぬのも、副作用のようなもの。これによってそなたは、闇に光を奪われることなく、夜にいながらにして生命を失わずに済んだのじゃ。さて、もう我の言いたいことはわかったな?」
 ミルファが黙っていると、サシャナリアは退屈そうにステッキで自分の肩をたたいた。
「そなたの発言を思い出してみよ」
「魔族がなぜかわたくしを守ったので、死なずに済んだ、という……」
「もっと前じゃ、愚か者。つまりな、そなたがカラリエット凍結にかけられたのは夜界に落ちてすぐでなければならぬということじゃ」
 わざとまわりくどい説明をしたくせに。
 ミルファはその文句を飲み込んだ。
「でも、わたくしを生かして、魔族になんの得があるのでしょう。魔族は人間の敵ではないですか」
 ミルファは一年前の自分ならこう感じたであろう、という古い思考回路をひっぱりだして、魔族、という単語にことさら嫌そうな響きをこめた。
「それは我がそなたに問うことじゃ。魔法にかからないそなたが半年間生きていたということは、意識があったということに他ならぬ。なにか見たり聞いたりしたはずじゃ」
「……本当に、覚えていないんです」
 サシャナリアは腰を上げ、ミルファの前に立った。
「恐れることはない」
 そしてミルファの手をそっと握り、腰をかがめて彼女に顔を近づける。息がかかりそうなほどに。
「話せば家族を殺すとでも脅されたか? 案ずるな、我らが力になる。太陽がそなたを守る。昼界の安定のため、そなたの見てきた夜のことを聞かせておくれ」
 優しげな口調に、背筋がぞわりとした。
 ミルファは反射的にその手を振り払った。さんざん挑発しておいて、今頃親切なふりをしたって遅い。
「人を偽物扱いして、十日も閉じ込めておいて、力になるですって? 馬鹿にしてるわ」
「そう感情的になるでない。魔族が生きていることが公になれば、人々が混乱するであろ。それに、魔族が人を助けたということもまた、世を惑わせる一因となる」
「あんたが人を魔族扱いしたんでしょ」
 ミルファはもはやかしこまることをやめた。不機嫌そうな目でじろりと彼女を見た。
 この状況で、不敬罪が追加されたところで、知ったことではない。
「さすがに皆そこまでは信じておらぬよ。なにか得体の知れないものであるとは思っているやもしれぬが」
「ええ、おかげさまでね。それで感謝して言うとおりにするとでも思ったの? 出て行きなさいよ、あたしは絶対、なにも喋らないから!」
 宣言して、ミルファはそこからかたくなに沈黙を守った。なにを言われても一切反応せずにいた。
 やがて、小さな賢者は諦めたのか去っていった。はじめからそうすればよかったと思った。色々と余計な事を喋らされた気がする。
 怒ったことでどっと疲れて、ミルファは長椅子に倒れ込んだ。人と会話するのはこんなに気力のいることだっただろうか。
 ぐるぐると後悔の渦が大きくなっていく。頭痛がする。
 なにも喋らないから、などと宣言したのはまずかったかもしれない。なにか隠していますと言ったのと同じことではないか。いや、知らぬ存ぜぬではもはや通らないことをあの子どもが証明してしまった。結局どうにもならないのだ。
 けれどそれならこの先、どう誤魔化せばいいのだろう。
 彼女はまたやってくるに違いない。
 意味もなく叫び出したい衝動にかられて、ミルファは痛む頭をおさえた。


 やがて頭が冷えてくると、彼女の知りたいことは結局なんなのだろう、と考えるようになった。
 ミルファの話したくないことは、はっきりしている。リオがたくさんの仲間を――取りようによっては、手下を――氷の塔に集めていること。黄昏の者と取引をしていること。黄昏の者とは獣人であり、昼と夜を行き来していること。
 サシャナリアはもう、魔族はいるものという前提で話している。ミルファの身体にかけられた魔術が、その証だと。
 つまり魔族と会ったということ自体は、すでに彼女の中で確定している。ミルファが話すまでもないのだ。彼女の知りたいことは、その先。
「リオがどのくらい強い魔族か、ってこと? かしら」
 彼女の口ぶりでは、強力な魔族の数は限られているようだった。
 けれど挙げられた名前は、どれもリオの言っていた馬鹿みたいに長い名前とは確実に違った。はっきりとは覚えていないし、覚える気もなかったけれど。
「ラ? レ? ……だめ。ほんとに全然わからないわ」
 むしろ、覚えていなくてよかったのかもしれない。わからないものは教えようがないから。
「あとは……、黄昏の……」
 しかし、サシャナリアは獣人についてはなにも言っていなかった。ネックレスが発見された話は、さすがに耳に入っているだろうに。
 後で聞くつもりだったのだろうか。興味がないのだろうか。
 どこか奇妙に感じた。ミルファはむしろ、結界で隔てられた向こうにいる魔族より、獣人の問題の方が昼界にとって重大だと思っていたからだ。事実、ミルファが急いで戻ることにしたのも、人々と獣人の関係を悪化させないためだった。
「あのネックレスは結局、出所がわからないことになってる。あたしもいつなくしたか知らない……パーティで落としたかもしれないってことに。仲介しただけの獣人に罪があるとは言えないって国際会議で丸く収まって」
 ミルファははっとした。
 丸く収まった、その会議に大賢者府の関係者は顔を出していなかったのだろうか。
 詳しい話は聞いていなかったが、今回ほど大きくなりかけた問題には、誰かしら賢人会のメンバーが参加するのが普通だ。
「黄昏の者のこと、中央は追求するつもりがなかったんじゃない? 戦争になるようなことは避けるはずだし」
 それどころか、彼らが夜界で生きられるということまで知っているのかもしれない。
 サシャナリアは言ったではないか。内密の話がしたいと。ミルファは知りすぎている、と。
 それはあちらがすでに知っているということの裏返しではないのか。
 もし知らなかったとしても、事を大きくして争いを生むつもりなどなく、世間には事実を伏せたままにするのではないか。
「なんだ……」
 急に気が楽になって、ミルファはむくりと体を起こした。
「結局、あの子の知りたいことって、あたしは知らないんじゃない?」
 むしろ魔族については向こうの方が断然詳しい。
 世界の大きな秘密を一人で抱え込んでしまったような気になっていたが、相手は大賢者府だ。一般には知らされないようなたくさんのことを隠しているに違いない。
 魔力についても、与えられるがどうとか言っていたではないか。魔物たちが魔力を差し出したり受け取ったりできることも承知しているのだ。なんといっても魔王と戦った大賢者の子孫だ、そのくらいのことは研究しているに違いない。
 ミルファはうろうろと室内を歩き回った。考えをまとめたい時のくせのようなものだった。
 大賢者府が問題視しているのは、魔族のことだ。
 たぶん、本当に魔族はもういないものと思っていたのだろう。それが、生きていたので調査しようとしている。魔族が存在することは大賢者府にとってそれほど脅威なのか。
 リオは別に、昼界に攻め込もうなんて思っていないはずだけど。
 普通の魔族なら思うものなのかもしれない。でも、魔族は光に弱いはずで、結界を越えられないはずで、越えたとしても太陽に力を奪われてしまうのでは?
「だめ。やっぱりわからない……」
 ミルファは足を止めてしまった。思考は行き止まりになった。
「頭……つかったら、おなかが減ったわ」
 呟いて、長椅子に転がった。
 むずかしいことを考えるのは苦手なのだ。




           



2011.10.03 inserted by FC2 system