この訪問が発光室に放り込まれてすぐでなくてよかった、とミルファは思った。
 あの時は拷問されるかも、などと怯えていたが、いくら比類なき権力を持つ大賢者府といえどもそんな人道に外れた事をするわけがない――落ち着いて考えれば、わかることだった。
 こちらが絶対的に悪いと判断されればまた別だが、そうでない限り、大賢者府は昼界の人間たちの守護者のはずだ。だからこそ国々の上に君臨していられるのだ。
 そもそも拷問する気があるのなら、周囲に話を聞いて回ったりせず、さっさとはじめているだろう。ここまで放置されたということは、向こうは長期戦を覚悟しているのだ。魔術の解ける半年後まで待つつもりがあるのかもしれない。
「だって、意味がわかりませんわ。わたくしはなにも悪いことはしていないんですもの、すぐに誤解がとけてここを出られます。賢いあなた様なら、ほんの少し調べればわかるはずですから」
 ミルファは何度も胸の中で繰り返していた文句を、幾分丁寧に変換しながらすらすらと喋った。
「不安になる必要などどこにあるというのでしょう。わたくしは魔物ではありませんし、本物のミルファです」
「そうじゃの。少なくともそなたは昼界の人間じゃ。ミルファ嬢かどうかは知らぬが」
 たくさんの根拠を用意していたのに、あっさりと認められてミルファは拍子抜けした。
「……は?」
「そのへんはどうでも良いわ。我にとって重要なのは、そなたが夜界にどっぷり浸かりながら戻ってきたというその事実じゃ」
「ど、どうでもいいって、あんたねぇ」
 かちんときて思わず、ミルファはへりくだるのを忘れた。
「許せよ。そなたを隔離したのは、内密の話をしたかったからじゃ。少々知りすぎているようじゃからの」
 そこまで言って、サシャナリアは突然ぷっと吹き出した。
「ふふ。大賢者府の使者を堂々とあんた呼ばわりとはな。くくく、実に面白いぞ」
 笑いながら、さきほどまでミルファが腰掛けていた長椅子に勝手に座り、細い脚をぷらぷらと揺らす。まるで年相応の子どものように。
 ミルファは怒りも忘れて、ぽかんとそれを見ていた。
 自分がぽろっと素の自分を出したのと同時に、サシャナリアも感情をさらけ出したのだ。なんだか変な感じだった。
「なにをぼさっと突っ立っておるのじゃ? そなたも座るが良い。長い話になるぞ」
 ミルファはこのすすめに従うかどうか、少し考えたが、結局言われたとおりにした。一度断ってしまうと、いざ足が疲れた時座りたくなっても座りにくい――というか、癪ではないか。
 ただし仲良く並んで座る気にはなれなかったので、食事用の椅子を引っ張ってきて向かい合わせに腰掛けることにした。
 初めに相対したときのような卑屈な気持ちはもう捨てていた。
 大賢者様がすばらしい方であっても、太陽を支えてくださっているとしても、それはこの子どもではない。
「さて、さて、なにから話そうかの。なにから聞かせてもらおうかの」
 あの危険きわまりないステッキが、少女の手の中でくるくると弄ばれている。
「わたくしは王子の誕生パーティの時、廊下に出ていて……」
「ああ、そこはいい。報告書に記されてあったからの」
「夜が来たのであわてて避難しようとして、でも暗くってうまく走れなくて。蝋燭のような赤い光を見たと思ったんです。誰かいると思って近づいたら、床が抜けたようになって」
 サシャナリアの言葉を無視して、ミルファは続けた。
 そう、ミルファはここへ来ようとしていたのだ。この発光室へ。
 あの日たどり着けなかった場所に、半年以上が経った今になって閉じ込められている。なにか不思議な気がした。
「あとは覚えていません。気づいたらソレノア辺境の林の中でした」
「半年間、ただ寝ていたというわけだな」
「たぶんそうではないでしょうか」
 昼界に戻ってから、何度も繰り返した問答だった。
「それはおかしい。そなたは生きている」
 サシャナリアはステッキで手のひらをたたいた。リズムを取るように。
「半年も眠り続けることは不可能じゃ。魔族ならともかく、人間はそれだけの間なにも摂らねば死んでしまう」
「それは、きっとなにかの魔法にかけられて……」
 これもいつもと同じ台詞だった。
 しかし、そこに問題があることに、ミルファは気づいた。向かい合っているサシャナリアは、その表情の変化を認めてか、かすかに微笑んだ。
「今のそなたに魔法はかからぬ」
「ええと、それは自由になる直前にその、なんとかいう術をかけられたのでは?」
「カラリエット凍結」
「それです」
 ステッキの刻んでいたリズムがぴたりと止んだ。
「禁呪h168、知のリジャールニンによって完成された秘術。リジャールニンはかつての五将軍のひとりじゃ。知っておろうな」
「いえ……」
 サシャナリアは肩をすくめた。
「名前を聞いたことくらいはあるじゃろう」
「いつの時代の話ですか?」
「本当に知らぬのか? 無知じゃの」
「――勉強は苦手で申し訳ありません」
「うむ、さもありなん」
 馬鹿に見えるという意味か。ミルファはもう少しで声をあげそうになった。
「昼界ではまったく知られておらぬからな。五将軍というのはな、かつて闇の軍を率いた五人の将のことじゃ。のちに一人を加えて六将となったのじゃが、まあそれは余談として」
 からかわれただけだ。
 ミルファはどうにか冷静さを取り戻そうとつとめた。うっかりなにか喋らされるかもしれない。
「つまりこれはな、魔族の術なのじゃ。長い間研究され、手を加えられ、完成した。実に興味深い」
 サシャナリアのステッキがミルファを指し示すように向けられる。
「でも、魔族ってもういないんですよね?」
 大人びた少女は、じっとミルファを見ていた。嘘は分かると言われている気がした。
「じゃあ……、それでは、わたくしにこの魔法をかけたのは誰なのですか」
「そなたは知っているはずじゃが」
「覚えていません。もう何度も申し上げました」
「候補としては、そうじゃな、それこそ最後の六将クラスの魔族でないとまず無理であろう。トルエル、アルハリカ、バーズ、ケルナシーナ、デューズィ、ガーザラン」
 指折り数え上げられた六つの名。どれもまったく聞き覚えがなかった。
「変わった名前ばかりですね」
 そういえばリオも変な名前だった。もう覚えていないけれど。魔族はみんなそうなのかしら。
 ふと浮かんだその考えをミルファは即座に頭から消した。あたしは知らない。魔族なんて、いない。滅んだはずだもの。
「トルエルはリジャールニンの跡をついで西の将になった。秘術を伝えられていても不思議はないの。ケルナシーナは魔術より武術を得意としていた将じゃ、可能性は薄い。南のデューズィは戦死と伝えられる。ガーザランはちと若すぎるが、両親ともに五将であったエリートじゃからあるいは……」
「あの」
 退屈な家庭教師の話を聞いていた時の気分そのものだった。ミルファは演技でなく、心からうんざりという表情をうかべた。
「全然わかりません。それに、魔族はみんな死んだんですよね。いまさら」
「そうであって欲しかったな」
 相変わらずさらりと、少女は言った。
「しかしここに生きた証拠がある以上、認めねばなるまい」
「では大賢者府はわたくしたちに、憶測で、魔族が滅んだと説明していたのですか」
「そう噛みつくでない。人心の安寧のためじゃ」
「つまり嘘をついていたんですよね」
「混沌の中に、もはや大きな魔の気配は残っておらなんだ。これは確かじゃ。生き残ったとしても力はほとんど奪われておろう。あるいは……いや、そこまで教えてやる必要はないの」
 少しの間、沈黙があった。
「生き残っていても弱くなっている。ということは、結局魔族がいても、なんとかいう術は使えないんじゃありません?」
「だが使えた。そうでないとそなたは死んでいる」
 混乱してきて、ミルファは頭をおさえた。
「……繋がりがわかりませんわ」
「人は、闇に心をさらわれる」
 その言葉の意味は、もちろんミルファも知っていた。
 夜に眠ると死ぬ。
 だからみんな、夜が来ると発光室にこもり、決して眠らぬようにする。
「ゆえに、たとえ魔物に襲われずとも、夜界で半年生きのびることなど人には不可能のはず。なにかあるとは思っていたが、まさかカラリエット凍結とはの。いやはや、これほどの術をこの目で見られるとは――お祖母様も羨ましがっていたわ。ふふふ」
 自分の身体になにかがまとわりついているような気がして、ミルファは腕をさすった。




           



2011.09.25 inserted by FC2 system