発光室に閉じ込められてから、一週間が経とうとした頃だ。
 ミルファは二食目のキッシュに反抗された。
 やたらに固い生地だった。フォークで刺してみても通らない。ナイフは用意されていない――これまで一度も。昨日のミートグラタンはなんだか焦げていたし、そろそろ食事にも手を抜かれたのかしら。考えながらフォークを横にして切るように動かし、ふと気づく。
「なにこれ」
 ミルファは生地にはさまっていたものを引っ張り出した。折りたたまれた油紙だった。開いてみるとメモが出てきた。
 びっしりと書き込まれた細かい文字。
 ミルファは息を詰め、とっさにそれを靴と足の裏の間に隠した。そして何事もなかったような顔をして食事を続けた。
「ねえ、そろそろわたくしが偽物なんかじゃないってわかったんじゃなくて? ここを出してくださいな」
 いつものように食器をさげにきたメイドに声をかけ、無視をされ、扉が閉まるのを待った。
 普通にできただろうか、と考えながら両手ではさむように頬をおさえる。若干熱くなってしまっているような気もした。呼吸を落ち着けながら、二分は待ってみる。
 すぐにまた扉が開いたことなどないが、念のため。心の中でゆっくりと時間を数える。
 それから飛びつくように長椅子に乗り、靴を脱ぎ、紙をひらいた。
 几帳面で丁寧な文字。サラの字だった。

 ミルファ、大丈夫ですか?
 あなたのこと、使者様にいろいろと聞かれました。本物に間違いないですと申し上げておいたけど、使者様はまだ疑っておられます。
 セイルやカニンガム将軍のところにも使者様はいらしたそうです。みんなあなたのことを心配しています。すぐに出してあげたいのだけど、まだ調べることがあるからと使者様はおっしゃっています。頻繁に大賢者府と魔術信を取り交わしておいでです。内容まではわかりません。
 ロージャー様もあなたの疑いを晴らすような魔術がないか調べてくださっています。もう少しだけ待っていてください。
 キッシュが美味しく焼けていますように。テーブルの下を見て。

「サラが作ったの?!」
 ミルファはキッシュの味を思い出そうとしたが、興奮をおさえることばかり考えていたせいでろくに舌に残っていなかった。
 そういえば、旅の間に料理を勉強したとか言っていたっけ。
 ミルファは何度もその短い手紙を読み返した。少しでも外の状況がわかったことが嬉しくてならなかった。椅子を降りてそわそわと歩き回り、そしてぴたりと足を止めた。
「テーブルの下?」
 広い発光室の中にテーブルはいくつかあったが、ミルファは奥にしつらえてある一番上等なテーブルを堂々と使っていた。
 幼い頃に忍び込んでサラやジェドと遊んだときも、よじ登ったりしたものだ。サラがテーブルと言うなら、これに違いない。
 ミルファは四つん這いになってテーブルの下に潜った。石の床を撫でるようにして何かがないか探ったが、おかしなところは見つけられない。
「これじゃない……のかしら」
 ミルファは腰を上げようとして頭をぶつけた。
「痛っ! もう、なによ!」
 完全に自分が悪いのだが、ミルファはテーブルに文句を言った。独り言が増えたのは、夜にいたときからだ。
 手のひらで後頭部をおさえながら、ミルファはいまいましい天板を見上げた。
「テーブルの……下」
 そうだ。テーブルの位置なんて動かせる。
 床ではなかったのだ。ミルファは頭上の板をさすり、すぐに隠された引き出しを発見した。
 別に、脱出のヒントが隠されていたわけではない。
 中に詰まっていたのは色とりどりのガラス玉、カード、手帳、ペン、インク壺、ミニチュアのティーセット、キャンディ、クイズの本。
 ひとつひとつをとりあげながら、ミルファは微笑んだ。
 これはおもちゃ箱だ。きっと、サラとジェドが、夜の波が来たときに時間をつぶすための。
「あたしもよくやったわ。お兄様と、発光室でカードを……」
 ミルファが退屈しているとメイドから聞いたのだろうか。それとも、お見通しなのか。
「ありがとう。借りるわね、サラ」


 その日からミルファは時間を持て余すことはなくなった。本はすぐに全部の問題を覚えてしまって役に立たなくなったが、カードはいい暇つぶしになった。
 これはマジックカードという名の、ぼくの世界では一般的なゲーム用のカードで、きみの世界のトランプみたいなもの。色んな遊び方ができるんだ。
 一枚一枚に記号とイラストが入っていて、オールマイティのような役割を果たすカードには「大賢者」、ジョーカーにあたるものが「魔王」、他にも騎士や王様、商人なんかが描かれている。
「そうそう、これよ……こういう絵があるから、あいつ魔族には見えなかったのよ」
 ミルファは魔王のカードを眺めながら呟いた。確かに人間に似たシルエットではあるのだが、その姿はいかにも凶悪におどろおどろしく描かれている。
 額に二本の角、灰色の肌、ぎょろりとした片目、鋭い牙、隆々とした筋肉に、ぶらさげられた骸骨。
「……こういうの、どこまでが本当なのかしら」
 昔は魔王のカードなんて、気持ち悪くてじっと見たりはしなかった。
 けれど今のミルファはだいぶ疑い深くなっていて、負のイメージだけで構成されたその絵に混じった、固定観念や画家の想像の要素を思わずにはいられないのだった。
 大賢者のカードにしたってそうだ。まるで自らが光り輝いているかのような神々しい絵だけれど。
「あの子がいずれ大賢者になったりするんでしょ? でもサシャナリアって、外見だけなら普通だわ……というか、あたしの方が美人」
 そう呟いて、ミルファは大賢者のカードを一番弱い設定にルール変更し、独りで憂さ晴らしをした。


 憂鬱に考え込む時間がなくなったことは、ミルファの精神状態のためにも幸いだった。もちろん彼女はこの貴重な娯楽を取り上げられたくはなかったので、お腹がすきはじめた頃にはしまうようにしていた。
 しかしたとえ時間を忘れ、カードを広げて遊んでいたとしても、誰かが来ればすぐにわかるので問題はなかった。なんといっても扉が三重だ。一つ目を開けている音が聞こえた時点で隠してしまえば、三つ目が開くまでに間に合う。
 重い扉はいつも、低く耳障りな音をたてる。不快な部類の音だが、おかげで聞き逃すことはない。
 だがその日は違った。食事が済んで長椅子でうとうとしていたミルファは、なにかを感じて目を開けた。風が頬に当たったのだ。
 扉が開いていた。一体、いつの間に。半分起きているつもりだったが、気づかないうちに眠っていたのだろうか。
「休むにはちと早い時間じゃぞ」
 ミルファは飛び起きた。
 サシャナリア・レイニードが立っていた。すぐ側に。
 何の音もしなかったのに。
 長椅子からおりたミルファは、後ずさって距離をとった。そのうち来るだろうとは思っていたが、不意打ちだ。
 ひとりでに閉まった扉がまた、発光室の空気を静かにかき混ぜる。埃と煤の臭いがわずかにした。
「驚かせたかの?」
 サシャナリアは、ミルファに唇の端だけで微笑みかけた。
 ミルファは落ち着け落ち着けと心に言い聞かせながら、負けじと笑みを返した。
「いえ。お待ちしておりました。ずいぶん遅かったですね」
「うむ、なにかと確認せねばならぬことが多くてのう。まったく面倒な仕事になったものじゃ」
「わたくしのような取るに足りぬ者のことは放っておいて、お帰りになればよろしいのに」
「それができれば苦労はせぬわ。一応、我にも立場というものがある」
「あら、やっぱり大変なんですの? 大賢者の孫って」
「ま、生まれるところは選べぬから仕方がないの」
「同感ですわ」
「そなたは自分の生まれに不満か?」
「いいえ、わたくしは家族を愛していますから」
「ほう」
 サシャナリアはしげしげとミルファを見つめた。
「しおれておるかと思ったが、なかなかに肝が太いではないか。面白い」




           



2011.09.10 inserted by FC2 system