肌に張りがなくなり、頬はこけ、髪は真っ赤。太陽のようと評されたミルファの美しさは陰っていた。それはそれで別の美しさがあると言う者はいたが、気味悪がる者もまたいた。
 見舞客は引きも切らなかった。
 興味本位か、同情か、ぞろぞろやってきては型どおりの言葉を並べ、お大事にと去っていく。
 中には熱心な崇拝者たちも含まれていたが、ミルファはどの相手にも同じように対応した。ありがとう。なにがあったか自分でもわかっていないんです。ともかくしばらくは静養して、家族を安心させたいと思いますわ。
 一月ほどが過ぎて、ひっきりなしに訪れていた見舞客の波が引くと、ミルファは厨房に入り浸るようになった。
 ミルファのためにミルファの好物が作られるところを嬉しそうに眺め、時には手伝いもした。同世代の令嬢達の集まりだの、花見の会だの、気を遣うだけの外出は全て断っていた。
 このまま、不吉な娘との烙印を押され、社交界に戻れなくても構わない。
 むしろ以前から、ミルファは心のどこかでそれを望んでいたのだ。どこにも行きたくない。愛してくれる家族の傍にいつまでもいたい、と。もちろん世間がそれを許さないことも、そんなことを言ったら家族を困らせてしまうこともわかっていた。健康な美しい娘は、嫁ぐべきなのだ。
 だからミルファは、誰にもそんな甘えは口にしなかった。
 けれどどこかで考えていたのだ。いい人が見つからないと言ってぐずぐずして、来るべき時をできるだけ長引かせたいと。
 そんな浅はかな思いが、意外な形で現実になろうとしている。
 こうなった以上、家族もうるさくは言わないだろう。魔物にさらわれたという不名誉ないわくつきの娘ひとり、かばって一生養うことなどわけもない家だ。
 あたたかい家族に囲まれ、時折友人を訪ねて、作り笑いをすることなく日々を過ごす。ミルファはそんな未来を夢想した。いずれ生まれてくる姪っ子だか甥っ子だかをあやし、編み物でもして、自分のために贅沢に時間をつかう。
 そのうち噂も廃れた頃に、変わり者が求婚してくるかもしれないし。ひょっとしたらその中に、気に入る人がいるかもしれないし。
 そのころにはきっと、忘れているだろう。
 夜での生活を、ではなく。
 ひとりになると襲ってくる懐かしさと、喉の奥がじわりと温まってくるような、えもいわれぬ感情を、きっと。


 そんなミルファの思いを切り裂くように、サリアンの空に閃光が走った。


 まさに忽然と、その少女は現れた。
 誰もいなかったはずの空間に、ごく自然に直立していた。
 その数瞬後、ズン、と腹の奥底に響くような音がサリアン王城に響き渡る。
 重低音の中心は正門にあった。正確には門をくぐった少し先、城壁の内側だ。
 もうもうと広がる土埃の中、その中心だけが切り取られたように爆風の影響を受けていない。少女は相変わらず涼しげに立っていた。
 明らかな不審者であり、侵入者だ。だが咎める者は一人としていなかった。
 ――突然の事態に驚いてそれどころではなかったから。
 ――その少女が十に届くか届かぬかという幼さだったから。
 ――サリアンの宮廷魔術師を左手にぶらさげていたから。
 どれも違う。ただ単純に、意識を保っていられた人間がいなかっただけだ。
 徐々に晴れつつある視界の中、なぎ倒された門衛たちをぐるり見渡して、少女は言った。
「ふむ、資料s832は正確じゃ。計算通りの到達地点ではある。誤差も許容範囲。ただ衝撃を殺しきれなかったのは遺憾じゃ。我一人であればこのような失態は起こりえなかった。自分の物でない質量をコントロールするのは厄介極まりないの」
 不快そうな、あるいは言い訳じみた独り言だったが、口調は平坦で表情も動かない。そこから読み取れる感情はなかった。
 少女は左手を持ち上げる。
「そなたの要望通り、こうしてリスクを冒しながらも同行させてやったのじゃから、しっかり補佐の任を果たすのだぞ」
 首根っこを捕まれた魔術師はしかし、返答しなかった。ぐるぐると目を回している。
「軟弱な」
 一言。
 少女は手を離した。どさりと魔術師の体が地面に落ちる。
 そのまま振り返りもせず、少女は足早に歩き出した。
「記録。資料s832に変更なし。実に美しい庭園じゃ。花のリッツファイムにも劣らぬ」
 右の手に持ったステッキをくるくると回しながら進む。今度は楽しむかのような言葉だったが、やはり調子は平坦だ。
 正門の騒ぎに騎士たちが動き始めていた。現場に向かおうとする彼らとは自然、行き違う形になる。年端もいかぬ少女が護衛も付き人もつけずに本宮に向かっている――見とがめられて当たり前の光景だった。
「おい、そこの娘……」
 だが声をかけようとした次の瞬間には見失っている。
 少女の歩き方はただの早足。
 しかし地面を滑るように、鞭打たれた馬のような速さで彼女は進んでいく。
 扉を守る衛兵たちが誰何する間もなく、指先一つで重い扉を開き。
「ご苦労」
 それだけ言い残して城内に消えた。


 サリアン国王レナードは、玉座の間で今しがたの地鳴りについて調査させるよう指示を出していたところだった。
 そこへ不意に現れたのが、王子ジェドと変わらぬ年頃の、小さな少女。
 誰の許可も、誰の案内も受けていない。入るぞという断りすらない。それは彼女には必要ない。
「報告書b469、即位式より二十五年。人相の一致を確認。壮健のようでなにより、レナード・フィスタ」
 あっけにとられ、静まりかえった室内に少女の言葉が響いた。
 近衛の騎士たちには意味不明だった。何事かとざわめき、わけもわからぬままにとりあえず王を守ろうと動く。が、王自身が彼らを遮った。
 レナードは誰よりも早くその正体に気づいたのだ。
 かつて、よく似た存在を目の当たりにした事があったから。ヒトと同じようで違う、圧倒的な存在感。人形のような無表情。声音を耳にするだけで胸を押さえつけられたように息苦しくなり、無力感がわきあがる。
「これは……!」
 レナードは玉座を降り、頭を垂れた。
 国王の行動に、騎士たちは顔を見合わせ、少女の出で立ちを見、それから慌てたようにその動きを真似た。
「我は賢人会南方管理局の代表を務めておる、名はサシャナリア・レイニード。先日は急な魔術信への対応、大儀であった」
 少女は右手に持ったステッキで自らの右肩をトントンと叩きながら悠然と名乗った。
「面をあげてよいぞ」
 許可を得ても、レナードはなかなか姿勢を変えない。
「わざわざのお越し、恐縮です。どのようなご用件で」
 その言葉を切ってからようやく、膝を折ったままで顔を上げた。
「お祖母様の代理じゃ。かの方は太陽を離れられんでの。話は手っ取り早く済ますぞ。結界を踏み越えたという娘御のことじゃ。話を聞くから連れてまいれ」
「は」
 短い返答で、控えていた騎士に目をやる。
「行け」
「はっ、私でございますか」
「ミルファ・アクラをここへ呼べ。今すぐにだ」
 国王は額に汗を浮かべていた。騎士は緊張にはちきれそうな面持ちで、サリアン式の敬礼をした。
「承知いたしました!」




           



2011.08.06 inserted by FC2 system