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「これはおとぎ話の部類かもしれませんけど」
 前置きして、フィルは思いついたことを言った。
「島の大賢者の祖先が夜界――当時は闇の国、でしたっけ。そこに侵入して帰ってきたとかいう話がありましたよね」
「キャシュリーンの、光の子奪還?」
「それですそれ。その時の秘術を発見できれば、夜界に行って魔物と直接交渉できるんじゃありませんか」
「まあ! そういえばそうですわ」
 サリーが手を打ったが、御者席のカークは乗り気でない様子だ。
「そんな伝説級超天才の発明なんて真似できたら苦労しないよ。だいたい当時は結界とかなかったんでしょ? あれは単に闇に入っても弱らず、魔物に気づかれずに済むっていう便利アイテムであって、結界を越える助けにはなり得ない。終了」
 そんな話をしていると、目的の集落へはすぐだった。
「あんた、先生のお弟子さん! まあま、戻ってきたんだねえ、ちょうど良かった!」
 馬車を停める前から、その女性は走り寄ってきた。恰幅がよく、長い髪はひっつめ、エプロンをつけている。いかにも田舎の奥さんという感じのご婦人だ。
 カークが馬の足を止める。顔見知りらしく、サリーが身を乗り出した。
「こんにちは、アデラさん。実はまた」
「あんたの探してたお嬢さんがふらっとうちに来たんだよ!」
 笑顔で挨拶をしかけたサリーの表情が凍った。
「どうやってそっちに報せを送ろうか、考えてたとこだったんさ。呼んでこようねえ」
 奥さんはにこにこしながら言って家に向かった。
「……どういうこと?」
 助手が呟く。
 サリーは早かった。すぐさま馬車を飛び降りて、彼女の後を追ったのだ。
「あ、ちょっと」
「えっと……。まあ、良かったんじゃないですか」
 フィルはリンゴの最後のひとかけを飲み込んで言った。
 どれだけここで過ごす羽目になるのだろうかと思っていたのに、拍子抜けだ。
 ともあれ馬車のことは御者席にいるカークに任せて、フィルもサリーについていくことにした。感動の再会が気になるではないか。
「ええっ、君まで?! ……ったく、しょうがないな」


 数年おきに入れ替わる天測師のための家は、古くはあったが綺麗に整頓されていた。
 階段の上に現れた人影に、駆け寄ろうとしたのだろうが、サリーは足を止めてしまった。追いついたフィルにもその原因はすぐにわかった。
 その少女はなぜか手にスプーンを持っている。
 身にまとっているのはいかにも高価そうなドレスだったが、しわくちゃで泥だらけだ。とても音に聞こえたサリアン一の令嬢には見えなかった。
 人違いだ。
 見上げながら思った。フィルはミルファ・アクラに会ったことはないが、それでも知っている。ミルファ嬢は叔母に当たるクローニャ王妃や従姉妹である王女と同じ、美しい金髪を持っているということを。
 その少女のまとまりなく広がろうとしているぱさついた髪は、赤。
「ふぁわっ?」
 片手で口を押さえながら赤毛の少女が言った。なにかを必死に飲み込もうとしている。食事中だったのだろう。
 なんだ、別人か。
 フィルは微妙な顔をし、その感情を共有すべく傍らのメイドと視線を合わせようとした、が、できなかった。
 サリーはまっすぐに、食い入るように階段上の少女を見つめていた。瞳が揺れている。涙があふれそうになっている。
「ミルファ……」
 そしてまろぶように一歩、前に出た。
「サラ! あんたなんだってこんなところにいるの!」
 ようやく口の中をカラにしたらしい少女が、ぱたぱたと階段を降りてくる。
 サラ、だって?
 フィルは金の髪のメイドを凝視した。
「もしかしてあたしを探しに? でも叔父様がそんなこと許すなんて」
 赤い髪の少女はサリーの目の前で立ち止まり、体を傾けて顔をのぞき込むようにし、そのまま勢いよく細い腕に抱きしめられた。
 スプーンが音を立てて床に転がる。
「よかった! 本当に……生きて……っえう、ミルファ……」
 サリーは泣いていた。すがりつくように両腕でしっかりと少女の肩をつかまえていた。
 そうして間近で見ると、確かに、赤毛の少女は息を呑むほど美しかった。
 ミルファ・アクラ。
 これがそうなのだ。
「ああもう、泣き虫ね。またジェドに笑われるわよ? あたしは大丈夫。ちゃんと、こうして……」
 ミルファが宥めるようにサリーの背中をたたく。その手が震え、握りしめられ、ゆっくりとその腰に回された。
 そうしていると、ふたりの少女はどこか似ていた。
 姉妹のように。
「……え、あれ? ミルファ嬢? え? でも」
 やっと追いついてきたカークが困惑したように、号泣している二人の少女を見る。
 フィルは空気を読むことにし、助手の袖を引っ張って外に出た。


「どういうことなんですか!」
「……知ってたわけないだろ」
「だって意味ありげになんか言ってたじゃないですか。わあ! 不敬罪ですコレ! 色々とあるまじき言動をした覚えがありまくりですさっきもゴミとか捨ててもらったってば死んでしまう!」
 空を仰いで自分の頭をわしゃわしゃしているフィルとは対照的に、カークはがっくりと下を向いている。
「その程度で死罪なら僕は百回以上殺されても足りない」
 彼はなにやら落ち込んでいるようだ。フィルにとっても青天の霹靂だが、上司の対応が色々と腑に落ちたので気持ちは若干上向きである。
「ただのメイドじゃない、なんかあるだろうなとは思ってたけど。さすがに王女殿下とは思わないっていうか……、本当にそうなの?」
「知りませんよ。あなた王宮勤めじゃないんですか」
「たまにしか行かないしぶっちゃけ広いから行動範囲違いすぎて王族になんか会わないしなんだかんだでそれでも何回かすれ違ったことあるけど頭下げてるから顔なんて見るわけない、以上」
「……ま、そんなもんですよね……」
 二人は同時にため息をついた。
「あの変態魔術師め。知ってたな……」
 カークは雇い主をけなしながら愚痴りはじめた。
「薔薇の谷で冒険者同士の小競り合いが起きた時、どうも二つの魔術が干渉し合ったみたいで、かなり大きな爆発があったんだ。あいつあの時血相変えてサリーさんの無事を確かめに行ってた……僕より早く。まあその後は普通に、この規模の爆発が起きるのは理論上ありえない、新たな法則が隠されているはずだとかなんとかいってテンションアップして亀みたいに這いつくばりながら痕跡を調べてたけど。あれ相当うざかった」
 頼んでもいないのに披露されたそのエピソードは、フィルの中にあった宮廷魔術師というものに対するイメージを著しく損ねた。
「そりゃあ料理も掃除もしたことないはずだよ。セイル・アクラとだって親しいさ。従兄妹だもんな、ああ」
 ずっとぶつぶつ言っている助手を放置して馬の首を撫でていたフィルだが、ふと思いついてその場を離れようとした。
「……どこ行くのさ」
「なんかよくわからないですけど、とりあえず金貨を拾おうかと」
 ここの荷物番お願いします、と言い置いて、フィルは元来た道を走り出した。




           



2011.07.02 inserted by FC2 system