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 その谷底には鉱山から出たとおぼしき大量の捨石――ズリが積まれていた。ゴミの山、いや山脈である。行けども行けども壁のように左右にそびえている。標高は平均七メートルといったところか。その尋常でない高さからして、現在の技術で積まれたのでないことは明らかだ。おそらく混沌期以前からこのような光景が広がっていたのだろう。
「薔薇の谷だなんて誰がつけたんでしょう? ズリしかないじゃないですか」
「花園でもあると思っていたのか」
「い、いえ。ただ……あまりに殺風景なので」
 軟弱なロマンチストと思われただろうか? フィルは馬上で背筋をピンと伸ばした。
「ええと、この先に獣人居住区の入り口があるんですよね?」
「ああ。だいぶ駆けたが、ようやくたどり着けたな」
「はい。今日はこの子たちもゆっくり休ませてやれます」
「おまえも長旅で疲れたのではないか?」
「とんでもない!」
 楽しかったです、という言葉をフィルは飲み込んだ。遊んでいるかのように思われてはたまらない。けれど実際、フィルは楽しくて仕方なかったのだ。サージと一日中一緒に居られるという事態は滅多にない。彼は忙しいし、普段はフィルも鍛錬や雑用に追われている。たとえ会話する余裕もなく馬を走らせる時間であっても、二人一緒というだけでフィルは心躍るのだ。
 サージと馬を並べながら、フィルは道――と言うよりは石くれの山脈にはさまれた空間――のわきに目をやった。そこにはいくつものテントが張られている。はじめはぽつぽつと、だが進むにつれ間隔が狭まり、道の両端がテントや敷物などでずらりと埋められるようになってきた。間にぽつぽつと小石が並べられている所など、ここからここまでが自分の領土だ! と主張する、冒険者たちのいじましい場所取り争いの形跡が見て取れる。
「このズリ山をいくつか乗り越えれば居住区、と。これはなんというか、天然の防壁ですね。さすがに登れそうにありません」
 ひとつひとつの石はそれほど大きくはない。足をかけたそばから崩れそうだ。
「越えられる可能性があるとすれば飛行呪文か硬化呪文か。どちらも高度で維持が難しく、複数の術者と相応のアイテムが必要になる、大がかりな魔法だな」
 そして失敗すれば埋まってしまう――どころか、この道が失われ、帰ることさえできなくなってしまうかもしれない。
「しかし、これだけのパーティがいるんです。協力すれば可能なのでは? 魔術師の数も多そうですよ」
 通常、冒険者のパーティには最低でも一人、魔術師が要として組み込まれているものである。
「フィル、彼らの目的はなんだと思う」
「ミルファ嬢の救出でしょう?」
「いいや、賞金をもらうことだ」
 フィルはサージの用意した解答に近づけるよう、慎重に考えてから発言した。
「つまり彼らはみんなライバルだから、協力はしたくないということでしょうか。リスクも大きそうですし」
「そうだな。分け前のこともあるし、術者の数が増えれば増えるほど魔法は不安定になる。それをまとめあげることができるほどの魔術師ならば、冒険者などという不安定な職に甘んじてはいないだろう」
「……まあ、魔術師という職業自体、博打打ちのようなものですからね。いつ丸裸になるかもわからないのに」
 フィルはくすぶる嫌悪感を抑えながら言った。
 あたりは賑やかだ。ひとくちに冒険者と言っても様々で、いかにもといった軽装の者から、普段は遺跡の国で発掘をやっているような重装備の連中まで混じっている。
 暇そうに寝転がっている者、カードで遊んでいる者、武器の手入れをしている者、食事をしている者。そういえば、どこからかいい匂いがしている。
「ともかく、宮廷魔術師殿に会わねばならん」
「ロアリング殿ですね。こちらの官舎に滞在しているんでしたっけ? 出かけていなければいいのですが」
 言いながらフィルの視線は泳いでいた。これだけの冒険者が集まったのだ、商売の匂いを嗅ぎ付けた者が出るのも無理はない。あちこちに即席の食事処ができていた。よく見れば武器屋や薬草屋もある。怪しげな魔法具が並ぶその隣は何故か土産物屋だ。
「……ちょっとした蚤の市のようになっていますね」
 蒸しパンを売り歩く子どもを追い越した。熱を持った空気とふわりすれ違う。
「食べていくか?」
 思考を読まれたようでフィルははっとした。
「し、しかしもう少しで到着ありますし」
「構わん。魔術師殿に会うのは私一人で十分だ」
「ええっ」
 思わず手綱を引きそうになった。だがその意図するところに気づいて、フィルは口をへの字に曲げた。
 フィルの両親が「魔力枯れ」を起こして狂った魔法使いによって惨殺されたことを、サージは知っている。たまたま近くの酒場にいた騎士を、隣家の住人が呼んでくれなかったら、あの時フィルも殺されていたかもしれないのだ。
「……平気ですよ。魔法使いは怖くありません、もう」


 ところが、やたらと入れてもらうまでに時間のかかった官舎で、聞かされたのはその魔術師の不在だった。
 四日前に早馬を借りて出て行ったというのだ。となるとどこかの山道ですれ違っていたのかもしれない。
「彼は我々が到着するまでここに留まるという話だったはずだが」
 係官を追及するサージの声に違和感を覚えて、フィルはちらりとその表情をうかがった。常は冷静なその顔に、わずかな動揺がにじんでいる。滅多にないことだった。少しくらい任務の予定が狂ったからと言って、落ち着きを失うような上司ではない。魔術師がいないということが、事態を根底から覆すほどの重大事とも思えないが。
 想定されていた最悪のケースは「辿り着くまでに暴動が起き、戦争の引き金になってしまうこと」だった。その状況を避けるために、二人は最低限の休息のみでここまで駆けてきたのだ。
 獣人居住区の関所と官舎と詰め所――石の山に半ば埋もれるようにして建っている、これまた石造りの堅牢な三つの建物のことである。これらは門の役割を果たしており、三つの建物を順に通り抜けなければ、居住区には入れないのだ――、この唯一の入り口を突破されていたり、もしくは集まったサリアン騎士と冒険者の間で衝突が起こったりという荒っぽい事態には、今のところ至っていないようだ。実に僥倖と言うべきであろう。
 サージたちが到着するまでその対応に当たるよう指示されていたはずの魔術師がいないというのは、確かに引き継ぎに問題を生じさせるかもしれない。また魔術師は責任を問われるだろう。だとしても、サージが取り乱すほどのことではないはずだ。事は起こっていないのだから。
「ロージャー・ロアリングはなぜ、任務を放棄したのだ」
「いえそれが、大賢者府直々の呼び出しがかかったようなんです」
 予想外の答えに、今度はフィルも息を呑んだ。
 勅令。
 それは誰も抗うことのできない要求だ。その動きを阻害することも大きな罪となる。もちろん、滅多に使われるものではない。
「サリアンから魔術信が届いて、我々もすぐに一番の馬を貸与しました。直ちにとのことでしたので」
 大賢者府入りを許されるというのは大変な栄誉だ。一般人は島に近づくことすら許されていない。
 優秀な魔術師にお呼びがかかるというのはままあることだが、ロアリングはまだ二十代前半だ。これは異例、というより前代未聞である。
「いや、それでは仕方ない。しかし……」
 ノックの音がして、客室のドアが開く。
「お待たせしました。カニンガム将軍はこちらですね?」
 姿を現したのは、若い男と女だった。サージがその目を見開いたのを、フィルは見逃さなかった。
「これは」
「お初にお目にかかります。ご勇名はかねがね。私はアクラ家にお仕えさせていただいている者で、サリーと申します」
「あ、僕――私はカークと言いまして、ロージャー様の助手です。このたびは遠路はるばるご足労頂き、いた、痛み入ります」
 はきはきと挨拶をした金髪の娘とは対照的に、黒髪の男はガチガチに緊張しているようだった。
 サージは微笑を浮かべて、二人と握手をした。フィルも短く自己紹介する。
 係官は無事引き継ぎが行われそうなことに安堵してか、では私は持ち場に戻りますので、と部屋を明け渡した。
 客室にサリアン人が四人。
 といってもあるのは素っ気ない椅子と机だけだが、とりあえず皆で着席する。フィルははじめ、自分は立っていますと主張したのだが、まあ疲れているのだからと言われて結局座らせてもらった。
 向かいに座ることになったのはさっぱりしたポニーテールの娘だ。フィルはその挙動に注目していた。部屋に二人が現れた時にサージが見せた反応が気になっていたからだ。彼がどちらかといえば助手より彼女を見ていたように思えて。
 両親を亡くしたフィルは施設に入った。七歳の時だ。だがそこに馴染めず、命の恩人である騎士の元に引き取られた。
 以来、サージとは家族のように過ごしてきたのだ。七年。彼のことなら細かな癖まで、家政婦の次くらいには熟知しているという自負がある。
 サリーと名乗ったその娘は、ぱっと見ではどこといって突出したところもなかった。
 特に美人というわけでもないのに、サージはいったいどこが気になったのだろうか?
「本当に、申し訳ありません。ロージャー様も、くれぐれもよろしくとおっしゃっていました」
「いや、中央からの要請では仕方がありません。出立が四日前ということは、あらゆる手だてを使って移動を続けたとして――もうじき国境というところでしょうか?」
「そんな急な用なら、魔法で連れてけばいいのに」
 呟いてしまってから、フィルは自分が注目を集めていることに気づいた。
「あの、ほら、大賢者は一瞬で長距離を移動する秘術を使えるのでしょう?」
 それともあれは単なる噂だったんだろうか。大賢者はなんでもできますよという子どもだましを信じていたのだろうか。
「ああ、そういえば、そんな話を聞いたことも」
 サリーが同意してくれたので、フィルは恥をかかずに済んだと胸をなで下ろした。地味だと思ってたけどこの子意外とかわいいかも、と現金に印象も上方修正される。
「光波乗。正確には大賢者とその候補者、つまりレイニードの血縁にしか扱えないと言われていますね。でもあれは一方通行なんですよ」
 カークの言葉に、まあ、とサリーが感嘆の声をあげた。なんだかお上品だ。
 よくよく観察すれば、彼女からはどことなく上流階級の匂いがしている。肌のきめ細かさ、ほっそりとした指と形のいい爪、そしてたたずまい。アクラ家の使用人とのことだったが、きっといいところのお嬢さんなのだろう。
「太陽の位置から、つまり賢者の島からしか発動できない。逆に到達点は太陽の光が届くところならどこでも。つまり昼界全域というわけです」
「ふむ。さすがに魔術師の助手といったところだな」
「いえまあ……、文献の写しを手伝っているうちに知識だけは自然と頭にたたき込まれてしまって。もちろん、写した分だけなので、偏っていることは否めないんですが」
 頭を掻くカークの方は、フィルには懐かしい雰囲気の持ち主だった。つまり、平々凡々な庶民だろうということだ。




           



2011.05.28 inserted by FC2 system