「痛っ」
「アチぃ」
「ぐあっ」
 ざまざまな苦痛の声が、さまざまの音程で、さまざまの位置から同時に発せられた。ワンテンポ遅れて、落下音がした。どさりぽとりとふたつ重なって。
「あいたたた……あ、あれェ? ここは……」
 ゆっくりと降ってきたもののうちのひとつ――小さなトカゲが身を起こした。
 ざわざわ、混乱が部屋中に広がっていく。彼の帰還を歓迎するはずの集まりは、当初の目的をすっかり忘れられていた。
「ウーシアン! なんってもんと一緒に落ちてくるんだい、アンタは!」
 黒と赤のまだら模様のヘビが、体をくねらせながら落下物からの距離を取った。
 部屋の中で、トカゲだけがまだその異変に気づいていなかった。ただ「戻ってこられた」安堵でいっぱいだったし、まだ後ろを振り向いていなかったので。
「ゾラナ――ってことは、やっぱりここはうちだね。あァ、もう生きた心地がしなかったよォ……ね、おまいさんたち、なんでそうあっしを遠巻きに……ア」
 ぐるり、首を動かして、トカゲはびりっと体をふるわせた。
 トカゲと一緒に落ちてきた「なにか」――それは彼よりずっと大きくて、ごてごてした飾りに包まれていた。体をひとまわり大きく見せるふくらんだ袋を腰から下につけ、頭にはいくつもの花がくっついている。闇を刺す光を発しながら、ぴくりとも動かない。
「あァ、こいつはニンゲンだァ!」
 トカゲのウーシアンは声をあげた。ニンゲンの見分けなんてほとんどつかないウーシアンだったが、このニンゲンのことははっきりと憶えていた。
 なんてことだろう。ついてきちまったのか。すぐに戻さないと。
 ついさっきまでサリアンの王宮にいたウーシアンは、今、石の床にびっしりと描き込まれた魔法陣の中央にいた。その魔法陣と同じものが、低い天井にも描かれている。
 彼の現れた場所は、まさにその二つの魔法陣にはさまれた空間なのだった。まだそこには黒い穴が残っていたが、見る間に小さくしぼんでいった。
「ちょ、ちょっと待ち……ああ、ダメだねェ」
 魔法の穴が消え、ウーシアンは首をぶるりと振った。その隣に倒れている光のかたまり――ニンゲンを、あそこに帰すことはもうできない。
 そう、ここは夜界。宮廷魔術師ロージャーが研究旅行に訪れていたサリアンの隣国ソレノアにある夜と昼の境界を越えて、さらに先。氷の塔と呼ばれる魔物たちの棲み処だ。
 本当は、夜界の生き物たちは、自分たちのことを魔物だなんて言ったりはしない。「魔物」も「魔族」も、昼界の人間が勝手につけた呼び名だからね。でも、彼らを総称する彼ら自身の呼び名は、実はないんだ。我々とか、闇に生きる者とか、そんな感じで。だからここでは「魔物」という単語も使っていこうと思う。伝わりやすいだろうからね。
「どういうことじゃ、ウーシアン」
 威厳たっぷりの口調がウーシアンを責めた。ひどいダミ声だった。
「ナルジフのダンナ! ああ、一体どうやってあっしを助けてくだすったんで? 光のど真ん中で、あっしはもうひからびるしかないと諦めて」
「話はあとじゃ。とにかく、そのいまいましい光を消してしまわんと。まったく、余計なものをくっつけてきよって。目がチカチカするわい」
 ふんぞりかえっているのは老ガエルだ。大きなぐりぐりした目を、ギョロっと動かしている。
 カエルを取り囲む魔物たちが一様にうなずき、非難の声を上げた。
「そうだそうだ、まぶしい」
「痛てえよ。早く、つまみ出せよ!」
「おい、ウーシアン、おまえも光のニオイがするぞ。しばらく近づくなよ」
 キイキイ、ガアガア、石の部屋に多種多様の声が反響していく。
 ウーシアンは抗議するように尻尾をゆらした。
「こっちは闇が抜けてもうフラフラだっていうのに、ひどいねェ」
「おいら、失敗してねえですよ」
 すいっとカエルに近づいてきたモグラが言った。
「わかっておる、ピピ。おおかた巻き込んだのじゃろ。仕方ないのう、エンディア、始末せい」
「ちょ、ちょいと待っておくれでないかい」
 ウーシアンは慌ててカエルの前に走り出た。
「くさい。くさいよ、ウーシアン」
 モグラのピピが逃げるように闇に潜って消えた。
「実はそこのニンゲンは、あっしの命の恩人なんだよねェ。このお人が分厚い布をかぶせて光を遮ってくれなかったら、今頃あっしはまだ檻の中。こうやって皆さんと再会することも叶わず、バラバラにされていたかもしれないんだよォ」
 ウーシアンの話にぞっとしたのか、それとも光のニオイにあてられたのか、カエルは縮みながらしばらく口の中でぶつぶつと何かを言った。
「……そなたを助けるためにどれだけ……この秘伝はかつて南軍の指揮官であったシュペリオス老が……儀式に膨大な魔力を……」
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れませんとも、えェ」
 ウーシアンは頭を床にすりつけた。
「これ以上わしらに何を望むというのじゃ?」
「でも、ああ、そうだ! このニンゲンはきっとカネになりますよ、ダンナ。あっしにいい考えがあります。ええもう、間違いなく。このウーシアンにお任せいただければ、必ずや」





           



2010.11.04 inserted by FC2 system