さて、ぼくはここまで、登場人物たちの心情を勝手に代弁しているわけだけど――集めた資料に基づいているものあり、実際当人に聞いてみたものあり、ぼく自身の想像によるものあり――つまりは事実とは違っている部分があるかもしれない。
 だけどそこは物語ということで、許してほしい。だって、淡々と事実だけを並べられたってつまらないじゃないか?
 だからこの先もこういう感じで進めていくよ。さあ、さっそく続きといこう。

 ミルファは、サリアン宰相サディアス・アクラの孫だ。
 同時にジョーゼフ・アクラの娘でもあるが、こちらの言い方はほとんど使われていなかった。というのは、彼女の父ジョーゼフより祖父サディアスの名の方がサリアンで広く知られているからだろう。持っている権力や名の通りからいけば王妃クローニャの姪であるという表現もできるのだが、やはりサディアス・アクラの孫という表現が彼女にはもっともふさわしい。
 サディアス・アクラの四人の孫――ミルファとその兄のセイル、王女サラ、そしてこの日に十歳の誕生日を迎える王子ジェド――の中で、彼の血をもっとも色濃く継いだのはミルファであろうと言われている。サディアスは今でこそ非情な政治家として恐れられているが、独身の頃の女性人気はすさまじかった。流れる滝のように美しい銀の髪と涼やかなすみれ色の瞳の美形で、彼が通ると令嬢たちの悲鳴があがり、召使いは目が合いはしないかと仕事を忘れて見つめ、夫のいる貴婦人も色目を使って話しかけたとか。一方、十四の若さで特例として王宮の官となり、当時の王妃にも気に入られ、スピード昇進を遂げていたサディアスの男たちからの評判は最悪だった。仕事や色事の嫉妬はもちろん、サディアスが媚びるとか遠慮するとか空気を読むとかいう単語と無縁だったのも一因で、あいついつか殺してやりたいと陰口を叩かれ続けていたその祖父と、ミルファはとてもよく似ているのだった。
 すなわち、異性の憧れのアイドル、同性の激しいやっかみの対象という点において。
 この日もミルファはその両極端な視線を集めていた。次々とダンスの相手を変え、音楽が止めば大勢の男性に囲まれ、パーティの主役さながらに笑顔を振りまいている。
 実際の主役はといえばそれを妬むわけでもなく、彼女からの誕生祝いを大事そうに両手で押しいただいた。
「ねえ、ミルファ、誰かいい人はいた?」
 小声で尋ねる王子に、ミルファは身をかがめて答える。
「まだだめね。ジェドがあともう少し早く生まれてくれていれば、あたし王妃を狙ったんだけど」
「そうなってくれてもいいよ、ミルファ。ぼく急ぐから、あと六年だけ待って」
 従弟のこの言葉にミルファは微笑んで、軽く頭を撫でてやった。
 サリアン王宮の大広間は、そのスペースの広さで大陸中に知られていた。広い部屋を作るのは、ぼくらの世界では大変なんだ。天井がガラスでできているからね。なぜかって? いつでも光をたくさん浴びられるように、だよ。
 その天井を見上げると眺められたはずのこの日の空ははじめ、薄紫色だったと記録にある。それは王子ジェドの瞳の色と同じ――髪と瞳の色だけなら王子はミルファよりずっと祖父に似ていた――で、縁起がいいと喜ばれたそうだ。うん、説明を忘れていたけど、ぼくの世界では空の色は何色、と決まっていないんだよ。毎日ほんの少しずつ変わっていくんだ。
 そのはずの空の色が急激に色あせていることに、会場の人々はなかなか気づけなかった。こんなとき、人は目の前のことだけで手一杯で、それすらおぼつかなかったりするからね。王女サラも、広間に戻ってきたとたんよそ見をしていて人にぶつかりかけた。
 サラは人を探していた。一番の目的は達せられなかったけれど、二番目の人はほどなく見つかった。ミルファだ。
 楽団の演奏が続いているのに、踊っていない。誰かと話しているわけでもない。ミルファはただ隅の方でケーキ皿を手にしていた。
 そして彼女もやはり、ひとつのことに気を取られていて空を見上げなかった。
「一人なの? ミルファ」
 サラはそっと近づいて声をかけた。隣に立って同じ方向に目をやると、そこには要人に囲まれて談笑している貴族の男女がいた。中心にいるのは、サラもよく知っている人物だ。
「ええそうよ。さっきから踊りづめで疲れたの」
 ミルファはすぐに視線を戻し、サラを見た。気づかれたとは気づかない振りで。
 けれどそういう演技は、付き合いの長いサラにはお見通しだった。
「珍しいわね、途中で休むなんて」
 ミルファはフォークにさしたケーキの一切れを口に運んだ。こうして食事している時は、誘わないのがマナーだ。つまりミルファは、ダンスお断りの看板を出しているのだった。
 周囲には、彼女が皿をおろすのを待っている男たちが、さりげない振りを装って待機している。
「まあね。今日は異国の人もたくさん来ているから期待してたんだけど」
「気にいる人がいない? じゃあ、この前付き合ってた人は? 確か……」
 サラが名前を思い出すより先に、ミルファはあっさりと続けた。
「ぜんぶ別れたわ。キースはお酒を飲みすぎるし、コルベスは笑い方が気持ち悪くて。ンフフ、なんていうのよ。それから、マーシーは自分の気に入らないことがあるとすぐ不機嫌になるの。やっぱり、顔がよくて家柄がいいだけじゃダメね」
 サラはミルファが密かに見つめていた若者をそっと眺めた。服の仕立ては特上だが、派手さはなく落ち着いている。面立ちはごく普通で、眉が少し気弱そうにさがっていること以外は印象に残らない――が、ミルファに言わせれば「内面の優しさがにじみ出ていて、素敵なお顔」となる。
 確かに彼はお酒が苦手だし、気に入らないことでもそうとはなかなか言えない人だった。笑うとえくぼができて、ははっ、という感じの声がもれる。
 ただのいい人。凡庸な人。世間ではそういう評価が多かったが、ただの「いい人」でいることが、どれだけの辛抱強さと思いやりを必要とすることか。サラにも彼の良さはわかっていた。ミルファが力説するほどではないにしても。
 けれど、いつまでも彼と比べているだけでは、ミルファは決して幸せにはなれないだろう。
「あたしが探してるのは、あたしを誰より大切にしてくれて、絶対に浮気をしない忠実な夫なの。もちろん財力も権力もあって、変な癖が無くて、控えめで、ついでにあたしと並んで見劣りしない容姿なら言うことないけどね」
 ミルファはいつもこんな風に言う。その後でついつい説教じみた言葉をサラが返すのも、お決まりのことだった。
「ミルファははじめからなにもかも求めすぎなのよ。誰にだって欠点はあるわ。そのひとつで切り捨ててしまうのはあんまり乱暴じゃない? もしかしたらそれを補うくらいいいところをたくさん持っている人だっているかもしれないし、長く付き合っていくうちに変わっていくことだって……」
「そうかしら。でも妥協はしたくないのよ。あたしは自分の相手を選ぶのに失敗はしないわ。焦って適当に決めたりもしない。一生の問題だもの、間違いのないようにするの」
 サラは声をひそめた。
「そんな風に言うのはよくないわ。ジェイニーは優しい、思いやりのある人よ」
「あたしがいつあの人の話をしたの? やめてちょうだい」
 ミルファがテーブルを叩くと、フォークがカシャンと音を立てた。当然、周囲の視線が二人に集まる。
「……やめましょう。そんなことより……」
 ミルファは皿を置いて従姉妹の手首をつかみ、大広間の外へと移動した。そこで改めて、話を切り出す。
「そんなことより、ロージャーはどうしたのよ」
 サラは首を振った。
「まだ踊ってないの?」
「いらっしゃらないみたい……」
「あたしも見かけてないわ。押しが足りなかったかしら」
 まったく、行くと言ったくせに、とミルファはぼやいた。
「せっかくのチャンスが台無しよ。この城の中にいれば、パーティの始まる時間がわからないはずないのに。忘れちゃったのかしら」
 サラは小さくため息をついた。
「きっと、なにか大事な用ができたのよ。一度約束したことを、簡単に放り出すような人じゃないもの」
「かわいそうなサラ! あんな男をかばうなんて。いいわ、あたし探してくる。必ず引っ張ってきてあげるから、待って」
「やめて」
 今度はサラがミルファの手をつかんだ。
「どうしてよ」
「もういいの。あなたが優しくすればあの人……、あとで傷つくわ」
 ミルファはわけがわからないという風に両目を瞬いた。
「私のこと助けたいなんて思わないで。そっとしておいてよ」
 厳しい表情のサラは、本当に久しぶりに、ミルファに逆らう意志を見せていた。小さい頃ケンカした時と同じような。
「もしかして……。ねえ、誤解してるわ、サラ。あたしちゃんと断ったのよ。言ったでしょ?」
「そんなの関係ないわよ。どうしてわからないの!」
「わかるわけないでしょ? 説明してよ!」
 サラは眦をつりあげ、手を離した。
「自分で考えなさい!」
 そのままきびすを返してどんどん歩いていく。廊下に取り残されたミルファは、心細そうに呟いた。
「……なによ。あたしが悪いって言うの?」





           



2010.10.17 inserted by FC2 system