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 それはよく晴れた、萌えいづる若葉のような緑の空の日だったという。
 サリアン王城の中庭では、王妃主催のガーデンパーティーが開かれていた。招待客は王妃と親しい婦人方が多く、題目は花を愛でる会だったが、内向きにはやっと大賢者の孫がいなくなったので羽を伸ばしたいというような趣旨だった。
 もちろん、大賢者府は人々に広く尊敬されており、嫌われてはいないんだけど、だからといって常に側にいて欲しくはない対象だ。たとえ自分が悪いことをしていない時でも、ぱとかーが後ろを走っていると緊張してしまうのと同じようなもの。
 神様の代理のような存在が近くにいると思うと常に気を抜けなくて、王宮勤めの官たちも息苦しい思いをしていたんだろうね。開放感から、皆明るい表情をしていた。
 そんな時、突然、鐘の音が鳴り響いた。
 時を告げる時の柔らかい音色のそれではなく、夜の訪れを報せるための警鐘だ。とたんに会場は大騒ぎとなった。誰もが王子の誕生日の、あまりに突然だった夜のことを思い出して空を見上げた。そこにはほんの少し曇り始めた空があった。雨の前触れに似ているが、夜の前兆かどうかは素人に判断できるものではない。ともかく天測師が鐘を鳴らしたのだから、なにかおかしい点があったのだろう。人々は声を掛けあいながら発光室へと向かった。


 一番にその部屋の扉の前にたどり着いたのは王子ジェドとその側近たちだった。
「さあ、ここを開けて!」
「できません」
「なりません。大賢者府の許可を得た者しか、ここへは立ち入れません」
 二人の兵士が立ちふさがったが、王子はひるまなかった。
「なにを言ってるの? さっきの鐘が聞こえなかった? すぐにみんなここへやって来るよ!」
 王子は扉にとりつき、制止しようとした兵士を護衛騎士たちが組み伏せる。重い扉は王子一人では開けられないが、複数の側近がすぐに手を貸した。
 かくして三重の扉は大きく開け放たれた。王子は真っ先に飛び込むと、こう言った。
「久しぶり、ミルファ! 一緒に遊ぼう。おもちゃを持ってきたんだよ」

 王妃が特別に招待した大楽団の演奏も、それを止めた鐘の音も、地下のミルファまでは届いていなかった。サシャナリアがリオを魔公であると断定して発光室を去ってから、なんの情報もないままに幾日もじりじりと過ごしていたのだ。
 状況がつかめず、ミルファは大きく開かれた扉に目を丸くした。
「え、ジェド……? 殿下、なにごとですか? このようなことをなさっては」
 護衛騎士と見張りの兵がもみ合っているのを見て、ミルファは従弟をたしなめようとしたが、彼はいたずらっぽく微笑みかけてくる。
「鐘が鳴ったんだ。夜が来るんだよ!」
 ミルファは息をのんだ。
 夜。
 あたりが騒がしい。あの日のようにまた、空の色が変わるのだろうか。
 その向こうにリオが居る、あの世界と繋がるのだろうか。
 今発光室の外に出れば、リオが魔法でさらっていってくれるのではないか――そんな考えが一瞬かすめたが、有り得ないことだった。ミルファのおかれている現状を、彼が知るはずもないのに。
「とにかく奥へ行こう! 今日はさ、母上がパーティをしてるから、お客さんが多いんだよ。ぼくの誕生日の時みたいに満員になるよ。メレディス、リック、そのテーブルを立てるんだ。少しでもスペースが空いた方がいいだろう」
 命じられた側近が、ミルファが日頃使っていた大きなテーブルを立てかけた。そうこうしている間に、どんどんと人が発光室へと駆け込んでくる。
「こっち」
 ジェドはミルファをそのテーブルと壁との隙間に引っ張りこんだ。周囲を守るように側近たちも詰めてくる。そして王子は大きな鞄を開けた。
「おもちゃだよ」
 貴族の側仕えが着る、装飾の少ないドレス。ありふれた茶髪のかつら。靴。手袋。次々に出てくるそれは。
「ジェド……」
 ミルファの言葉にならない問いに、王子は小声で答えた。
「すぐに着替えて」
 それだけで充分だった。理解した。
 ミルファはうなずき、素早く着衣に手をかけた。王子は後ろを向き、しゃがんだミルファを背にかばうように周囲に目を配る。
 夜は、長い。そう簡単に去るものではない。
 しかし、大波が来てからまだ数ヶ月。通常ならまだ、サリアンに夜が来る時期ではない。
 だからこれは、そういうことなのだ。この部屋を本来の目的で使用するため、合法的に人を入れるための口実で、本当は夜なんて来ていないのだろう。
 たぶん猶予はそれほどない。
 ミルファが服に袖を通していると、ほどなくサラがやってきた。人並みを縫い、王子の側近にさりげなく通されて。
 ジェドはサラと位置を交代した。
 テーブルの裏で、二人は久々の再開を果たしたが、喜びに抱き合う時間はもちろんなかった。
 サラは無言で、同様に服を脱ぎ始めた。
「あんたが残るの? 大丈夫なの?」
「あなたには魔法がかからないけど、私にはかかるわ」
 ミルファは側仕えの服を、サラはミルファの服を着ていく。そうして最後に、サラは小瓶を取り出して、ごくりと中身の液を飲み干した。
 口を押さえた王女の肩が小刻みに震えている。
「だ、大丈夫? まずいの?」
 サラはこくこくとうなずいたが、顔を上げない。
「失礼いたします」
 いつの間にかやってきた王妃の側仕えが、ミルファの赤い髪を手早く結い、かつらの中に押し込めた。
 続いて顔を粉ではたかれ、ミルファは会話することができなくなった。普段家のメイドにやってもらうのとは違い、かなり手荒く、急いでいる。
 おとなしく目を閉じてされるがままになっていると、ますます大きくなってきたざわめきの中、間近で自分に似た声がした。
「あなたはスウィンナートン夫人の側仕え。一人風邪で来られなくなった臨時の、名前はベリンダ」
 スウィンナートン夫人のことはミルファも知っていた。王妃クローニャの古くからの友人で、小柄な外見を裏切る声の大きな女性だ。
「これが夫人の荷物。あなたはこれを彼女の馬車に運んで、そのまま乗って。中に手紙が入ってる」
 ミルファが目を開けると、そこにミルファがいた。
「元気で。あなたの幸運を祈っているわ」
 ミルファの姿をした少女がそう言った。
「おい、間違いだ! 外に出ていい。夜は来ていないぞ!」
 誰かの叫びが聞こえ、発光室の中はさらに騒がしくなった。


 見張りの兵はもちろん王子の護衛騎士たちに抗議したが、騎士たちは国民の生命を守るために仕方なかったと主張した。もめはしたが、ともかくミルファ・アクラがおとなしく部屋に残っていたので、兵士たちも大賢者府への反逆行為にはあたらないと判断し、彼女を残して再び扉を閉めた。
 しかし翌日、食事の時間にその扉が開けられたときには、中に誰もいなかった。
 アクラ家の令嬢ミルファは消えた。これ以降、その姿を見た者はいないとされている。
 また、天測師たちを眠らせて警鐘を鳴らし、人々を混乱させたとして、カークという名の平民が指名手配されたが、この男も行方が知れない。
 真相は謎のまま、事件は様々な形の噂話となり、長く人々の記憶に残った。




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2016.09.30 inserted by FC2 system