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 おまえのうすめ みるはくらわあづかたつ
 かやしてほしけば5せんきんかをよういおねがします
 こうりのとおより

 干からびかけたくしゃくしゃの紙に、にじんだインクの文字。
 どう見ても子どものイタズラだった。力の抜けた、ヘタクソきわまりない字だ。
「このようなものがうちの庭に。塀の外から投げ込まれたようです。今朝、庭師が発見しまして……」
 ジョーゼフ・アクラはかしこまりながら言った。相対している男は彼の実父だったが、執務室では公私を別にするのが彼のやり方だ。
 父、つまりサリアン宰相であるサディアス・アクラは、ジョーゼフの提出した紙を一瞥して鼻を鳴らした。
「くだらないものを持ち込むな」
「は、申し訳ありません」
 ジョーゼフは胃のきりきりするのをこらえながら背筋をさらに伸ばした。
 娘が姿を消してからすでに十日が経とうとしていたが、未だなんの手がかりも得られていない。手をつくして調べれば調べるほど、絶望的になっていった。王女と大広間の外で別れ、廊下で魔術師と会話した。その後のことが、まるでわからない。一人の人間が、霞のように消えたとでもいうのだろうか。
「今回の件、夜界に流されたなどと言いふらしている輩がいるそうだが?」
 険しい目つきで――普段からこうなのだが――サディアスは言った。
「はい、一級宮廷魔術師のロージャー・ロアリングです。近年、夜界の研究をしています。彼はミルファの最後の目撃者でもありまして、当日、城内を魔物がうろついていたと証言しています。今回の波形異常について、近く大賢者府に意見書を提出するそうです」
「ふむ……」
 父が考え込んでいる時は声をかけないに限る。ジョーゼフは直立不動のまま待った。魔物がいたなんて、いかにも怪しい証言だ。いかれた魔術師の言いそうなことだ。夜にさらわれた? そんなことがあってたまるか。もしそうなら――娘はもう生きてはいまい。
「誘拐か。あり得ぬ話ではないな」
 サディアスが脅迫状もどきを目の端に留めながら言った。
「は?」
「ミルファが城の発光室に逃げ込めなかったらしいことは確かだ。遺体も見つからん。とすれば、何者かによって城外に運び出されたとしか考えられん。そうだろう」
「ですが、あの混乱では……」
「夜に紛れた犯罪は昔からある。命知らずな連中のな。ふってわいた夜に、妙な気を起こした者がいたのかもしれん。あれは、危険を冒すだけの価値のある娘だ。だが……、金で戻ってくるとも思えんな。これだけ手を尽くして情報が得られんとなると」
 いまだになんの連絡もないのだから、身代金目当てであるはずはない。だが、金銭には換えられない、ミルファ自身の持つ価値がある。一目見たことのある者なら、誰でも知っている。生い茂る木々の葉と同じ色の瞳、絹のようになめらかなしみひとつない肌、陽の下できらきらと輝く金の髪、少し尖った形のいい唇。肩から腕のラインや、成長途中の胸、爪の形に至るまで、男たちが激賞してやまない娘である。
「確かに……いや、困ります! それではあの子は」
「戻ってくることはないかもしれんな。下手に逆らって殺されていなければいいが」
「そんな」
 ジョーゼフは青くなった。大切に育ててきた嫁入り前の娘が、見も知らぬ男に連れ去られ、力ずくで――ああ、想像するのもおぞましい。
「情けない声を出すでない。ミルファは必ず探し出す。アクラ家の威信にかけてな」
 それに、リリーシャが煩くてかなわん。
 小さく呟いた後者が本音だろう、とジョーゼフは思った。母には頭のあがらない父である。
「あれはリリーシャに似て気が強いからな。案外、かどわかした方でも手を焼いているかもしれん。どれ、手配してやるか」
 サディアスは机に置かれたイタズラ書きをはじめて手に取り、唇の端をあげた。笑ったのだ。
「五千か。安く見られたものだ」


 そもそもカークは王宮づとめの文官になりたかったのだ。だが何度も試験に落ち、くさっていたところ、遠縁の男が宮廷魔術師になって助手を探しているという話にとびついたのである。いったん王宮に出入りできるようになればこっちのものだ。どこかにコネでもあるかもしれないではないか。
 だがこの男がとんでもない変人だった。父の姉の嫁ぎ先のじいさんの後妻のまたいとこだかなんだか知らないが、年下のくせにすこぶる偉そうで、人使いが荒くて、やっていることは怪しいし、王宮に研究室を持っているといっても研究旅行ばかりで滅多に戻ってきやしない。カークはといえばその旅行の間、城下の狭い仮住まいでカビの生えた古い書物を書き写させられているのである。コネなどできようはずもなかった。
 まったく、人生の選択を誤った。こんなことなら、両親に嫌味を言われながら田舎でコツコツ勉強していた方が遙かにましだった。
 そう思いながら、今日も今日とてカークはロージャーに付き合わされているのである。
 ロージャーの屋敷は、カークの仮住まいの十倍の広さはあった。といってもまあ平均的な庶民のものとそれほど変わらない。ロージャーは一応、貴族のはしくれなのだが、研究費がかさむので庭つきの家屋敷は売却して王宮近くの安い家を買ったのだとか、なんとか。
 とにかく中古のその家は、本と実験器具が所狭しと散らかっており、王宮にある研究室と大差なかった。
 そこに、金髪の娘が訪ねてきた。カークは取り次ぎながら不思議に思った。こんな純情そうな普通の女の子の知り合いが、あやつにいたとは。
「これは! むむっ、かすかに魔力を感じる。闇の魔力を」
「まあ、本当ですか?」
 娘が持ってきたボロい紙切れに、ロージャーは興味を示したようだった。
「これは一体?」
「おじさ……ご主人様がお貸しくださったんです。なにか手がかりになるのではないかと」
 彼女はなんとアクラ家の召使いだという。国一番の名家のメイド! なにをどうやってそんな上玉をひっかけたのだ。
「ええと、なにでしたっけ。そうだ、サリーさん。これは非常に貴重なものです。それはわかっているのですが、少し……ほんの少し、汚しても? かまいませんか?」
「ええ、あの、それが。捨てていいと言われていますので……」
 それはそうだろう。そこらへんに転がっているゴミと同じような代物だ。それはともかくメイドだ。顔の造作は並だが、物腰は悪くない。さすがはアクラ家だ。教育が行き届いている。
「おお! では私がいただいてもよいと? 感謝いたします。では早速……カザサ反応塩の粉末だ、カーク」
「は?」
 いきなり名を呼ばれて、カークはメイドを観察するのをやめた。
「カザサ反応塩だよ。取ってきたまえ。それからお茶を」
「は、ただいま」
 いつもならはいはいわかりましたと答えるところだが、女性のお客とあっては少しかしこまらなければなるまい。
 カークは床に散らばった本を踏みながら薬品棚に手を伸ばし、ラベルの貼られた瓶をひとつひとつ見てカザサ反応塩を探し出した。お茶は三人分容れて戻る。助手にだって同席する権利はあるはずだ。
「いいかね、基本的に夜界の生き物は、言語を解しはするが文字は使わないのだ。なぜならペンを持てないものがほとんどだからな。よって、いざ使おうとするとこのような稚拙な字体となる」
「では、これはやはり、夜界からの?」
 いやいやいや、そんなもっともらしいこじつけ話に騙されちゃいけないよ、メイドさん。カークは心の中で彼女に教えた。多分ただのイタズラだよ。魔力の気配だなんて当てずっぽうなんだから。
「その可能性は高い。お見せしましょう。いざ……」
 反応塩を水に放り込んでくるくるとかき混ぜ、ロージャーは紙にその液体をたらりとこぼした。
 途端、じゅっと焼けるような音がして、薄い煙があがった。
「おお、素晴らしい!」
 さすがにカークもぽかんと口を開けた。闇の魔力を識別するカザサ反応塩だが、こんなに激しい反応は見たことがない。
「じゃ、じゃあホントに魔物の字ですかっ、これは! ミルファ嬢は人質になっちゃってるんですか?」
「おそらくな」
「そんな……。夜界だなんて……」
 勤め先であるからには被害者と面識もあったのだろう。メイドは両手で口元を覆い、肩を震わせた。そういう仕草も上品だ。
「おまえの娘、ミルファ・アクラは預かった。返してほしくば、金貨五千枚を用意せよ。氷の塔より。――さて、これをどう受け取るかだな」
「五千なら用意できますわ。でも、氷の塔というのは?」
 メイドからさらりと爆弾発言。いや、そりゃ、アクラ家の財力をもってすれば五千なんてポンと出てくるだろうけど、あんたが出すんじゃないだろ?
「そこまではわからん。だが、この文章のなかでもっとも重要なのはおそらくここだ」
「魔物の組織の名前、でしょうか?」
「いや、そうではないだろう。聞きたまえ、いえ、コホン。聞いてください、サリーさん。混沌期以来、夜では魔族以上の力を持ったものはのきなみ消滅したはずです。在りし日の闇の国は弱肉強食の世界。統べるものがいなくなった今、魔物たちは元のように好き勝手に生きているはずですよ。力ある存在がなければ、彼らは人間のように社会を形成することはできないのです」
 メイドに対するロージャーの態度は気持ち悪いくらい丁寧だった。いつもならテンションが上がると極端に偉そうになるくせに。相手が若い女となれば、この変人でも気を遣うことくらいはできるのだな、とカークは妙なところで感心した。
「では、組織的な犯行ではないと?」
「そのはずですが、妙ですね。魔物が人間を殺さず、金を要求するとは。魔王がいた時代ならともかく、今の夜界で金銭が価値をもつとは考えにくい……しかも昼界の貨幣を……もしや彼らはすでに昼界の中に密かに入り込み、我々の生活を脅かそうとしているのでは?! 我々が新たな太陽と大賢者府に世界を任せきり、安心しきっているこの間に」
 ロージャーのテンションがまたしても上がりはじめたので、カークはとりあえず話の腰を蹴飛ばした。
「それじゃ、お茶飲みましょう。冷めないうちに」





           



2010.12.16 inserted by FC2 system